2006年12月21日木曜日

メニューの漢字が読めない

20年前ぐらいの前の話

当時俺の家はいわゆる片親ってやつで、すげぇー貧乏だった。
子供3人養うために、かぁちゃんは夜も寝ないで働いてた。
それでもどん底だった・・・

俺は中学卒業してすぐ働きに出た。
死ぬほど働いた。遊んでる暇なんてなかった。

1年ぐらいして同級生に久しぶりに会った。
飯食いに行こうって話になった。
メニューの漢字・・・読めなかった。
読めたのは、一つだけカタカナで書いてあった「オムライス」だけ。
同級生は「焼きそばとごはん」って注文した。

無知な俺は「じゃあ俺はオムライスとごはん」って店員に言った。
店員、固まってた。
クスクスって笑い声も聞こえてきた。
そしたら同級生
「さっきのキャンセルね!!俺もオムライスとごはん!!」

・・・
店出た後、同級生が一言
「うまかったな」って言った。
「仕事がんばれよ」って言ってくれた。

泣けてきた
心の底から人に「ありがとう」って思った。
そいつは今でも親友です。

2006年10月27日金曜日

留年経験者

留年経験者から言わせて貰うと
だいたい心の準備は出来てるから通告された時の精神的ショックはそれほどデカくない
多少涙目になるぐらいだ
でもな、問題はそのあと両親に報告する時なんだよ
電話するだろ?「ゴメン留年した」って
電話では「…そう。残念だったわね。いつ帰ってくるの?」とか優しいんだぜ
まぁその優しさが心に痛いんだけどな
で、恐る恐る帰省すると、案外あっさり迎えてくれて、ほっとしてくつろいじゃったりなんかして
メシ食って、リビングでテレビなんか見ててさ、母親がぼそっと呟くんだ
「あなた何も言う事無いの?」って
「…ごめん、留年しました」「それだけ?これからお母さんたちにどうしてほしいの?なんで今まで連絡しなかったの?どうして留年したのか聞いて無いよ?」
あぐらかいてた俺は正座しなおして、何年かぶりに親の前でダラダラ涙流して謝ったね
もう二度とあんな事したくない

2006年9月12日火曜日

中学時代の昼休み

中学時代の昼休み
俺「…ポツーン」
女子数人「ジャンケンポン!キャー負けたー!」
ジャンケンで負けたらしき女子が近付いてくる
負けた女子「えー本当に言うのー?」
取り巻き「キャハハ早く言いなよー。せーの。」
負けた女子「友達になってくれませんか?」
俺「???」
負けた女子「もーヤダー!サイテー!」
取り巻き「キャハハ○○(俺の名前)君喜んでるよ。もっかいちゃんと言ってあげなよっ」
負けた女子「マジキモいんだけどー」
俺「・・・。」

2006年8月27日日曜日

新聞配達の少年

特番で後味悪すぎて現在進行形のやつ。
新聞配達の少年がたまたま通りかかったDQNのガキ集団にリンチされて昏睡。DQN放置。
4時間後に心配して探していた母親が発見。
命を取り留めるも知的障害、記憶障害、顔面麻痺、指先の機能障害が残ってしまい、
進学を諦め学校を退学せざるをえなくなった。
成人して暫く経つが仕事がみつからない。勤め先をつてを頼りに公務員の障害者枠に入れ、
事務や雑用をこなすようになる。
その姿をカメラで撮影。両親が控え室からモニターで見て
「よかったね。ああ、ちゃんと仕事を覚えられるんだ。忘れないんだ。よかったよかった。」
と涙を流していた。
取材中、チェーンの飲食店で記者と差し向かいでハンバーグ食べるシーンがあるんだけど
「口が閉じられないんだ。だからこうしてるの」と
咀嚼のたびに手で顎と唇を閉じているのが悲しかった。
手を添えないと顎がだらりと下がってしまう。
「熱いうちに食べて火傷しないの?」の問いに「美味しいものは熱いうちにたべたいから」
と麻痺した顔でぎこちなく笑うのが今思い出しても胸苦しいわ。
彼は一生後遺症に苦しまないといけないんだから。
一方DQNのガキどもは一番重い刑で1年ぐらい少年院に入って
みんな結婚して子供作って普通に暮らしているという。

2006年7月2日日曜日

JAFの月刊誌

ガラスといえば、昔購読していたJAFの月刊誌思い出したわ
JAF隊員が遭遇した信じられない救援とかのタイトルだったかな

ある連休中、高速のパーキングでインロックしてしまったから開けて~!
という主婦の依頼を受けた
ところがその日は渋滞が激しく、隊員が到着したのはおよそ一時間後のこと
ようやく依頼主の車に辿り着いたらその主婦が涙目で訴えている
「中に…赤ちゃんが閉じ込められているんです!
 この日差しの中、大丈夫かしら…お願い!すぐに助けて!」

隊員は慣れた手つきですぐに開錠し、赤ちゃんを救出した
多少汗をかいていたものの、大事にはいたらなかったようだ
隊員は一通りの処理を済ませたあと、その主婦に言った
「お母さん、いざというときは後ろの窓を割って下さい
 前や横と違って後ろのガラスは石なんかでも割れるんですよ?」

それを聞いた母親はこう返したそうだ
「え~?でもガラスって割ったら高いじゃないの~」

2006年5月17日水曜日

好きな女の子が出来た

とある日の春、僕に好きな女の子が出来た。
その子は私の家に来てと言ってきた。
だけど緊張して行けなかった。
だがその女の子は毎週言ってきた。
4週間目に僕は女の子の家に行こうと決断した。
でも行き方が分からない
女の子はすぐそばにいる、場所も分かってる。
でも行けない・・・何でだろう
ある日突・・・然彼女を見なくなった。
探したが見つからない。
また来るだろうと僕は待ち続けた。
そして2年後の冬また彼女が戻って来た。とても嬉しくて涙が出てきた。
また私の家に来てと言ってきた。「僕は貴方の家はどこですか?」と聞いた。
でも答えてくれない。そんな日々が続いてまた彼女が消えた。悲しかった。
ある日僕は気が付いた・・・
彼女は画面の中に居たんだ。

終わり

2006年4月27日木曜日

バイト先の大人しい子

バイト先に彼氏いない歴25年らしい大人しい子がいた。
局の子にお昼おごらされたり、
派遣社員の子から高額なマルチ商法の商品買わされたりしてた。
皆が「アイツはお人好しだから何言っても絶対断らない」と
学生のイジメのようにバカにして嫌な事押し付けたりしていた。
もともとその子を優しくて良い女だと好感を抱いていた上に
この子なら断らないかもと思った俺は彼女を休日に食事に誘ってみた。
生まれて初めて女性からOKをもらい、嬉しくて店を色々調べて下準備し、
当日は思いきりお洒落してピカピカに洗った車で迎えに行き、
頑張って話を盛り上げてご飯を御馳走し、家まで送り届けた。
とても楽しくて何度も誘った。彼女も楽しんでくれていると思った。
段々好きになって今度告白しようと決心して食事に誘った時、
「本当はずっと嫌だった。もう誘わないで欲しい」と言われた。
彼女の顔は気の毒になる位必死だった。きっと決死の思いで言ったのだろう。
「ほら~!麻衣、ちゃんと断れるじゃないですか!
今度から嫌な事 頼まれたら、今みたいにビシッと言えよ!
俺、ずっと麻衣が何言っても断れないの、心配したよ!」
と、俺は泣き出しそうなのをこらえて出来るだけ明るく元気に取り繕った。
彼女はとてもホッとしたような顔をして何度も俺にお礼を言った。
俺から好かれている訳じゃない事がわかって、そんなに嬉しかったのかな。
昨日の話です。もう色恋は諦めますた。一生童貞でかまいません。

2006年3月27日月曜日

宅間事件のすぐ後に

宅間事件のすぐ後に、池田小学校にある内容の電話が殺到したのをご存知だろうか。
その内容は、以下のようなものである。

「子供が7人殺されたんですよね?それなら、定員分補充される筈ですよね!?
うちの子供は入れられないんですか?」

国立である池田小学校には、定員がある。
その定員が減ったから、我が子を入れられないか、というものである。

この話を聞いた時、事件の一報を聞いたときよりも寒気が走った。

2006年2月27日月曜日

どの角度から見たらイケメンか

鏡でどの角度から見たらイケメンか調べてた俺に
友達から「後ろから見たら一番キモくない」って言われた

2006年1月27日金曜日

就活

つい先日の出来事。
就活生のオレはいまだに内定が取れず色んな企業の選考に足を運んでいた。
んで無理だろうと思っていたそこそこ大きめな(地元では)企業から内定のメールがきた。
信じられなかった…元々敷居の高いところってのと
面接官の態度や質問が圧迫面接なんてレベルじゃ済まされない程クソで、
口論して部屋を出て行ったからだ。
大人げない事したなと後悔してたが、逆に評価されたのかと思い何とも言えない気分だった。
そしてメールで歓迎会でBBQやるから来いと連絡がきた。
同期の人間の顔も見たことないし凄く楽しみにして現地の河原に向かった。
かなりの人数が集まっていてオドオドしていると口論した面接官が
「お、○○君!こっちこっち。」と手招き。そこには同期らしき人間が並んでいた。
「初めてだし自己紹介は恥ずかしいだろうし俺から簡単に説明するね。」と
端から順に面接官が紹介していった。
最後に俺だった。
面接官「コイツが面接中にキレて出て行ったアホw個人的に教育したくて嘘の内定メールだしたら本当に来てしまったみたいですw ○○君よくわかったかぁ?あんま調子乗るとこうやって恥かくから気をつけろよw」
そいつは俺に交通費と称して5千円札を握らせると「釣りいらねーからw」と一言。
周りからは「カッコイイぞw」だの「やりすぎだろw」だの野次が行き交っていた。
俺は恥ずかしさと怒りでパニックになりながらその場から逃走。今は就活する気起きない。