2024年12月3日火曜日

感動系泣けるコピペ

こんばんは、こうちゃんです。

泣けるコピペと言っても、ただ悲しい切ない物語だけではなく、
時に感激、感動系の泣けるコピペもあるものです。

そんな素敵な感動の泣けるコピペも集めてみました。


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母親とつまらない事でケンカした。
つまらない事なのに、凄い暴言を吐いてしまった。
一人暮らし中の私は、そのまま自分の家に帰って
母から電話が掛かっても、絶対に出なかった。

3日経ってやっと頭が冷え、自分のバカさ加減に情けなくなり
「謝らなきゃ・・・」と思うようになった。
とはいえ、直接電話するのも躊躇う。
卑怯かもしれないけど、謝りのメールを母に送る事にした。

『この前はごめんなさい。』 これが精一杯の言葉。
10分後、母からメールが返ってきた。
ドキドキしながら見ると、件名には『アホな娘へ』と書いてある。
もっとドキドキしながら本文に目をやると
『アホやね お母さんは怒ってませんよ(^0^)
夜ご飯食べにおいで 待ってます』

子供の時みたいにボロボロ泣いた。
メールにしといてよかった・・・

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親父、覚えているか。
俺が小さい頃、この店の前で駄々をこねてお子様ランチを食べたいと言った事を。
親父は「我侭を言うな」と一喝し、俺の頭を殴ったな。
俺は泣きじゃくっていたが、それを背に親父は歩いていったな。
母さんに支えられながら歩いた俺は、親父のその背中を見て、畏怖したもんさ。
家に帰っても親父とは話ができず、家の中には気まずい空気が流れていたな。
その日から、何日経っただろうか。
母さんが「こっそりあの店に行きましょう」と言ってくれた。
俺は歓喜に震えながらも、後で親父にバレて怒られる事を危惧した。
だが、幼い俺はお子様ランチの誘惑には勝てず、母さんと二人、店に向かった。
その店に向かう道中からその店でお子様ランチが出るまで、俺はワクワクしっ放しだったさ。
そして、念願のお子様ランチが出てきた時には、もう俺の喜びは最高潮に達した。
そこからは、俺もあまり覚えてないな。
本当にもう、ただお子様ランチに心を奪われていたんだな。
気付いたら、既に皿の上には何も乗っていなかったさ。
そこで再び、俺の中には親父への畏怖が湧き上がってきた。
そこで俺は、恐る恐る母さんに対して口を開いた。「この事、父さんには内緒だよね……?」と。
しかし母さんは言う。「う~ん、それは無理かもね」
俺は愕然とした。
どうして?どうして?どうして? ――
何も信じられなくなろうとした刹那、母さんはこう続けた。
「父さんが『この金で連れて行ってやれ』って言った事だから」

親父、覚えているか。
俺は、今でもあの時の親父の背中を覚えてるよ。
けど、本当は ―― 本当は、親父と一緒に食いたかったんだぜ?
―― 今更言ってもしようがないし、親父は不器用だったから仕方ないかもしれないけど ――
だから、約束してくれ。
俺がそっちに行ったら、一緒に ――

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俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。。。
すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。
俺が小6のときにクラスの給食費が無くなった時なんて、
「ファミコン持ってない奴が怪しい」
なんて、真っ先に疑われたっけ。
貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!
って悪態ついたときの母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ、、。

どーしても欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。
これでようやく遊べると思ったんだけど、
ニチイのゲーム売り場の前まで来て買うのやめた。

そのかわりに小3の妹にアシックスのジャージを買ってやった。
いままで俺のお下がりを折って着ていたから。

母にはハンドクリーム買ってやった。
いっつも手が荒れてたから。

去年俺は結婚したんだけど、
結婚式前日に母に大事そうに錆びたハンドクリームの缶を見せられた。
泣いたね、、。初めて言ったよ。。

「生んでくれてありがとう」
って。

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仕事帰りに乗ったタクシーの運転手から聞いた話です。

ある夜、駅ロータリーでいつものように客待ちをしていると血相を変えたリーマン風の男性が「〇〇病院まで急ぎで!」とタクシーに飛び乗ってきた。
男はどこかに電話をかけているようだが、相手が受け取らないようだ。
ヒーヒー言いながら男は平静を保っていた。しばらくすると男の携帯が鳴った。

男「もしもし!母ちゃんの様子は?…。
そうか、頼みがあるんだけど受話器を母ちゃんの耳にあててあげて!…。」
優しいが芯のある声で男が勇気づけるように語りだした。
男「おいおいいつまで寝てる気だよ、 朝散々人のこと叩き起こしてたくせによ。
今せっかく働いて、美味いもん食わしてやろうと毎日頑張ってんのに、」
「おれまだなんもしてねーよ!死ぬんじゃねーよ!おれが手握るまで息してろよな」と言って切った後、男は黙りこくっていた

しかし病院までの道のりはかなり遠い、男の苛立ちを背中でヒシヒシと運転手は感じ、信号を避けるため裏道など利用し最善を尽くした。
しばらく走ると再び男の携帯がなった
男「もしもし…そうか…わかった…もう着くよ」そう言い電話を切ると男は黙りこくった

そうこうしているうちに病院に着き、男は運転手にお詫びを言い病院の中に消えた

私はタクシーから降りる間際、お金を渡し、涙ぐんでこう言った
「覚えていてくれたんですね。これはあの時払えなかった運賃です。ありがとうございました。」

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俺の近所に住んでた爺さんの話。

一人暮らしだった爺さんは子供好きで、ちっちゃい頃の俺もよく遊んでもらってた。
ある時、爺さんの家で見た暴れん坊将軍(だったと思う)の1シーンで
老中と主役が「じい」「若」と呼び合うのを二人で真似して
俺「じい!今日も遊びに来たぞ。」
爺「若、よくぞいらっしゃいました。」
なんて呼び合って遊んでいた。
そんな関係は俺が他県の大学に進学するまで延々と続いていた。

卒業後に実家に戻ってきたらなんと「じい」が脳卒中やって入院中だという。
さっそく見舞いに行ってみたら「じい」はたくさんの管に繋がれてベッドに横たわっていた。
看護士の話では外界からの刺激にはなんの反応も示さない状態だと言う。
俺は「じい」に呼びかけてみた。
「じい、俺だぞ。覚えてるか?」
ダメもとのつもりだった。・・・が、次の瞬間、閉じられていた「じい」の目がカッと見開き
そして今まで昏睡してたとは思えないようなハッキリとした声で喋った。

      「若、ご立派になられましたな。」

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国内で世界記録を20分以上も塗り替えるような記録を出しながらも本大会では日射病で倒れ、行方不明扱いにされてしまった。
日本の期待を一心に背負いながら、それでも走りきれなかったことで、深い自責の念に駆られた。
それでも日本のマラソンの発展のために50年間尽くしてきた。

1967年、ストックホルムオリンピック委員会から「オリンピック55年祭」が開催されるので来てもらえないかという連絡が届いた。
式典後、当時のコースを懐かしげに辿る金栗。そして55年前にたどり着けなかったスタジアムに足を踏み入れた。
何故かそこには観衆と役員、そしてゴールテープ。思い出のスタジアムで念願のゴールテープを切った金栗。

『日本の金栗がただ今ゴール。
          タイムは55年…。
                 これで第5回ストックホルム大会の全日程は終了しました』

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役員「では自己紹介を手短に」
剛田「はい。ハーバード大学院経済学修士課程から参りました、剛田たけしです」
役員「では、アピールポイントを3分で」
剛田「はい。2点あります。一つはリーダーシップ、二つ目は体力です。
   リーダーシップに関してですが、小学校の頃にジャイアンズという野球チームを
   立ち上げ、何度ものメンバーチェンジ、選手交渉、トレードを経てNYヤンキース
   に勝利するまで育て上げました。
   体力に関してですが、先に申した野球を始め、サッカー、アメフト、柔道など
   幅広いスポーツをこなしました。体力なら自信があります。
   またMorgan Stanleyで事務のアルバイトを経験し、不眠不休でエクセルの表を
   作っていました。」
役員「では学生時代に頑張ったことは?」
剛田「先ほど野球チームとアルバイトの話をしたので、アイビーリーグの学生をまとめて
   大規模なビジネスコンテストを主催した経験について話します。
   ハーバードの院に入った年から活動し始めたのですが、GE、P&G、AT&T、IBM、Merrill Lynch
   などの企業の役員にアポを取ることから始め、スケジュール管理、各大学への訪問などを繰り返し最終的に
   アメリカの5000人もの学生を集めることに成功しました。延べ一年半を費やしてようやく実現にいたりました」
役員「いやあ、君は優秀だね。なんだっけかな・・・君と出身小学校が同じ子が面接に来たんだが
   奇妙奇天烈な学生でね。選考には進ませなかったんだが。」
剛田「その学生・・野比という名前では?」
役員「ん、まあ名前は言わないけど。“無能”な子だという印象を持ったよ」
剛田「・・・・謝れ」
役員「なんだって?」
剛田「謝れと言っているんだよ、俺の友人に」
役員「内定あげようと思ったのに」
剛田「こんな会社の内定なんていらない。   だから野比に謝れ」

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俺の母親は、俺が2歳の時にがんで死んだそうだ。
まだ物心つく前のことだから、当時はあまり寂しいなんていう感情もあまりわかなかった。
この手の話でよくあるような、「母親がいない事を理由にいじめられる」なんて事も全然なくて、
良い友達に恵まれて、それなりに充実した少年時代だったと思う。
こんな風に片親なのに人並み以上に楽しく毎日を送れていたのは、
やはり他ならぬ父の頑張りがあったからだと今も思う。

あれは俺が小学校に入学してすぐにあった、父母同伴の遠足から帰ってきたときのこと。
父は仕事で忙しいことがわかっていたので、一緒に来られないことを憎んだりはしなかった。
一人お弁当を食べる俺を、友達のY君とそのお母さんが一緒に食べようって誘ってくれて、寂しくもなかった。
でもなんとなく、Y君のお弁当に入っていた星形のにんじんがなぜだかとっても羨ましくなって、
その日仕事から帰ったばかりの父に「僕のお弁当のにんじんも星の形がいい」ってお願いしたんだ。

当時の俺はガキなりにも母親がいないという家庭環境に気を使ったりしてて、
「何でうちにはお母さんがいないの」なんてことも父には一度だって聞いたことがなかった。
星の形のにんじんだって、ただ単純にかっこいいからって、羨ましかっただけだったんだ。
でも父にはそれが、母親がいない俺が一生懸命文句を言っているみたいに見えて、とても悲しかったらしい。
突然俺をかき抱いて「ごめんな、ごめんな」って言ってわんわん泣いたんだ。
いつも厳しくって、何かいたずらをしようものなら遠慮なくゲンコツを落としてきた父の泣き顔を見たのはそれがはじめて。
同時に何で親父が泣いてるかわかっちゃって、俺も悲しくなって台所で男二人抱き合ってわんわん泣いたっけ。

それからというもの、俺の弁当に入ってるにんじんは、ずっと星の形をしてた。
高校になってもそれは続いて、いい加減恥ずかしくなってきて「もういいよ」なんて俺が言っても、
「お前だってそれを見るたび恥ずかしい過去を思い出せるだろ」って冗談めかして笑ったっけ。

そんな父も、今年結婚をした。相手は俺が羨ましくなるくらい気立てのいい女性だ。
結婚式のスピーチの時、俺が「星の形のにんじん」の話をしたとき、親父は人前だってのに、またわんわん泣いた。
でもそんな親父よりも、再婚相手の女の人のほうがもらい泣きしてもっとわんわん泣いてたっけ。
良い相手を見つけられて、ほんとうに良かったね。
心からおめでとう。そしてありがとう、お父さん。

2024年10月9日水曜日

バカ泣けるコピペの数々

こんばんは、こうちゃんです。


ちょっと泣ける違いで、バカ過ぎて泣けてしまう系コピペもありますw 

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成績が落ちて母に叱られた。母は、
「お前は頭の悪い子と付き合っているからつられて成績が落ちるのよ。
頭の良い子と付き合うようにしなさい」
と言ったので、僕は頭の良い子と付き合うようにした。


母が言ったとおり、その子がバカになった。

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俺  「先生、好きです。俺と付き合ってもらえませんか?」

先生「ごめんなさい、彼氏がいるから・・・・・・・・・」

俺  「そうですか・・・そうですよね・・・・・」

先生「待って!!」

俺  「!!」

先生「彼氏がいなくても、あなたとは付き合わなかったと思う・・・・・・・・・」

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たまには外に出なくては、と
意を決して一人紅葉狩りに出掛けてみた
ロープウェーで一人座って出発を待っていると
発車間近に若いカップルが駆け込んできた

駆け込みの焦りと俺の座席位置が相まって
俺が見えてなかったらしく
「やったぁ、かしき・・・」まで出た女ね言葉が止まるのと
笑顔から一変、表情が無になる瞬間を眼前で見た

そのまま客は俺とカップルのみで発進
何故か気まずい俺

窓を覗きつつ
「わーきれいだねーあかーい」などと喋る女だが
声のトーンと口調の無機質さが、明らかに俺との遭遇、存在で
機嫌を損ねましたと言わんばかり
オマケに野郎までテメェのせいだと言わんばかりのオーラ

俺は、外を見る気すら失せ、ただ俯き目を閉じていた
緩く、永い、地獄のようなロープウェーだった

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小さい頃、じいちゃんが死んだ。俺は小さいから死というものがよく理解できず、
両親が変な服(喪服)を来て泣いてばかりいるのが不思議だった。じいちゃんは箱に入れられて、変な服(白装束)を着せられていた。
出棺後、車の中で「これからどこへ行くの?」と聞くと、母は「おじいちゃんを焼きに行くのよ」と答えた。
その答えが何だか恐くて、母の膝に顔を埋めていたら、そのまま寝てしまった。

目が覚めるとすべてが終わっていて、俺は自宅の布団にいた。
起き出していくと両親は普段通りの姿で、母は夕食の準備をしていた。
おかずは、豚の生姜焼きだった(じいちゃんが生前好物だったらしい)。
準備が整って、いざ食べようとしたとき、父がじいちゃんを思い出したのか「お父さん・・・」と言って泣き出した。

俺は、車中での母の話と合わせて、これはおじいちゃんを焼いた肉だと思い込んでしまった。
それでも両親が食べ始めたので、俺も食べた。旨かった。
俺が「おじいちゃんおいしいね」と言うと、母が「**ちゃん、おじいちゃんが見えるの?」と驚いた。
俺は目の前の肉の事だと思って「うん、ぼくの前にいるよ」と言った。
その答えに両親が再び激しく泣き出したので、これは間違いなくじいちゃんの肉だと確信した。

誤解が解けたのは小学生になってから

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妹「(俺の友達)くん遊びに来んかな」
俺「(俺の友達)?なんで?」
妹「呼んでくれん?」
俺「うちに?呼んでどーすんの」
妹「ちょっと一緒に写メ撮ってもらいたい」
俺「え、何、好きなん」
妹「いや、私のタイプではないんだけど」
俺「何それ」
妹「あの、真面目な話なんだけど」
俺「え?うん」
妹「ゼミの友達と話しててね」
俺「うん」
妹「うちのお兄ちゃんだってかっこいいよ~とか言っちゃったのね」
俺「ああ」
妹「写メ…」
俺「ごめんな」
妹「ううん」

ーーーー

一時間に一本くらいしか電車が通らない田舎に、
5才くらいの子供とその両親が旅行にきていた。
ダイヤの関係で、ある駅で電車が3分ほど止まってた。
お父さんはお母さんと子供を車内に残して、ホームに出て写真を撮り始めた。
すると電車がすぐに出発してしまうと思った子供が、
「お父さんが置いてかれちゃう!」って泣き出した。
お母さんがなだめるも、泣き止まない子供。
「お父さん! 早く乗って! 置いてかれちゃう! お父さぃやぁぁぁ!!」
周りの客がそれ見て、優しい子供だなぁとか言って笑ってた。
久しぶりにいいものを見た。
お父さんは置いてかれた。

ーーーー

ありふれた一般家庭、そこに言い争いをする兄と妹がいた。
それを父親が目撃し止めに入る。

父『コラコラどうしたんだお前たち』

兄『どっちがパパを愛してるのかって言い争ってたんだ』

父『お前たち……』

うっすらと涙をうかべ子供たちの頭をやさしくなでて部屋をあとにした父親。
すると、また言い争いが始まる

兄『お前のほうだよ!』

妹『お兄ちゃんよ!』

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ある時、父さんが家にロボットを連れてきた。
そのロボットは特別で、ウソをついた人の顔をひっぱたくって言う物騒な代物らしい。
そんなある日…。
僕は学校から帰宅するのがかなり遅くなってしまった。
すると父がこう尋ねてきた。
「どうしてこんなに遅くなったんだ?」
僕は答えた。
「今日は学校で補習授業があったんだよ」
すると驚いたことに、ロボットが急に飛び上がり、僕の顔をひっぱたいた。
父は言った。
「いいか、このロボットはウソを感知して、ウソついた者の顔をひっぱたくのさ。さあ、正直に言いなさい」
そして父がもう一度聞いてきた。
「どうして遅くなったんだ?」
僕は本当のことを言うことにした。
「映画を見に行ってたんだ」
父はさらに聞いてきた。
「なんの映画なんだ?」
「十戒だよ」
これに反応して、ロボットがまた僕の顔をひっぱたいた。
「ごめんなさい…父さん。実を言うと『Sexクイーン』ってのを見てたんだ」
「何て低俗な映画を見てるんだ、恥を知れ!いいか、父さんがお前くらいの頃は、そんな映画を見たり態度が悪かったことなんて無かったんだぞ」
するとロボットはきつい一発を父に食らわせた。
それを聞いていた母が、キッチンから顔を覗かせるとこう言った。
「さすが親子ね、あなたの子だけあるわ」
母も顔をひっぱたかれた。


「あなたの子ねと言って」
たたかれたってことは・・・

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168 名前:名無しさん@4周年[] 投稿日:04/01/17 10:43
いよいよ明日がセンター試験本番ですよ!

むっちゃドキドキしてきた…。

受験生の皆さん、今日くらいは勉強は休んで明日に備えますよね?


169 名前:名無しさん@4周年[] 投稿日:04/01/17 10:57
>>168
   . . …. ..: : :: :: ::: :::::: :::::::::::: : :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
        Λ_Λ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
       /:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.: ::: . :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/;;:   ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: : ::::::::::::::::::
 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄
今日と明日だよ
来年こそはがんばってよ
シーズン開幕からこんなことになるなんて


173 名前:168[] 投稿日:04/01/17 11:10
受験要綱を見た。
どうやら今日と明日、両方とも試験があるらしい…。

親に話したら泣かれた。怒られた。殴られた。
学校の先生に電話したら怒鳴られた。今すぐに学校に来いって言われた。

今から学校に行ってきます……もうだめぽですか?

ーーーー

Q.通ってくる野良猫が大変にずうずうしく、困っています。

始めは家の外でみゃーみゃー鳴いて飯をねだる程度だったのですが、この寒空、外は辛かろうと一度玄関に泊めたのが運の付き。

それから飯をねだるだけでなく、毎日家の中に入ってきて、6kgの巨体でホットカーペットを占領するようになりました。

野良の分際で、根が生えたようにホカペから離れず、

家人が部屋のドアを開け閉めすれば寒いと鳴き、

部屋から人がいなくなれば誰か来いと鳴き、

人が来たら来たで撫でろと鳴き、さらには膝に乗せろと要求する始末。

それでいて、自分が外に出たいときにはとっとと窓際に行き、夜中だろうが家人が寝てようが窓を開けるまでおらび倒します。

こやつ、一度私にとっ捕まって去勢手術されたのですが、拉致して痛い思いさせた相手の前だというのに腹出して寝ている姿を見ると、野良としての矜持はどうしたと小突きたくなります。

どうすればよいでしょうか。

?

A.あなた以外はみんな気づいていると思いますが、その猫は野良猫ではなく、あなたの飼い猫です。いままでどおり、やさしく世話してあげてください。


2024年9月3日火曜日

母親系泣けるコピペを連投②

とにかく泣ける母親系コピペを連続でどうぞ。
母の愛、思い出は偉大ですね。


アイスクリームのせいで

あの日俺が楽しみにとってあったアイスクリームを、母が弟に食べさせてしまった
学校から帰り、冷凍庫を開け、アイスを探したが見つからなかった
母親に問い詰めると、弟が欲しがったのであげたと言った
その時楽しみにしていた俺は、すごく怒った
母親に怒鳴り散らし、最後に「死ね!」と叫び、夕食も食べずに部屋に篭もった
それから何時間か経った
俺は寝てしまっていたようだ、が、父親が部屋に飛び込んで来たので目が覚めた
「母さんが轢かれた・・・!」
あの時の父親の顔と言葉を、俺は一生忘れないだろう
俺達が病院に着いたとき、母親はどうしようもない状態だと言われた
医者は最後に傍にいてあげて下さいと言い、部屋を出た
それから少しして、母親は息を引き取った
その後、母親があの時間外にいた事を父から聞いた
買い物に行くと言って出て行き、その帰りに車に轢かれた事
現場のビニール袋の中には、アイスが一つだけ入っていた事
救急車の中でずっとごめんねと呟いていた事
その時、俺のためにはアイスを買いに行って事故にあったとわかった

通夜と葬式の間中、俺はずっと泣いた
そして、今でもこの時期になると自然に涙が出てくることもある
母さん、ごめんな
俺が最後に死ねなんて言わなかったらと、今でも悔やみ続けている。

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好物のから揚げ

母が俺の部屋にきて今日のごはんについて聞いてきた
「たけし 今日ご飯なににする?」
からあげが食べたかったが、
素直に「から揚げが食べたい」といえなかったので
「なんでもいい!」と答えた
「なんでもいいが1番困るのよ~、ねえ何がいい」
母があまりにしつこいので酷い言葉を浴びせてしまった
「なんでもいいから、早く作れよ!!」
母はすこし悲しそうな顔で台所に向かった
「たけしー ご飯よー」
しばらくして母に呼ばれたが、すぐには向かわなかった
よばれてからかなり後に食卓に向かうと、そこでは母が待っていた
母が持ってきたのは俺が食べたかった、から揚げだった・・・
なんだかとてもうれしかったので 洗物をしている母に
久しぶりに「ごちそうさま」といった
すると母は今まで見たことのないくらいの笑顔で
「ありがとう」といった
久々に見た母の笑顔だった
うれしかったが、今まで「ごちそうさま」という
こんな当たり前の言葉も 言えなかった自分を
恥じないではいられなかった
今度機会があったら、母に「いつもありがとう」と伝えたいと思う・・・

ーーーー

母の優しさ

ちょっとした事で母とケンカした。
3月に高校を卒業し、晴れて4月から専門学生となる私は、
一人暮らしになる不安からかここ最近ずっとピリピリしていた。
「そんなんで本当に一人暮らしなんて出来るの?あんたいっつも寝てばっかで‥ゴミ出す曜日は確認した?朝は起きられるの?火事だけには気をつけてよね?」
事あるごとに聞かされる母の言葉にうんざりして、
ついに今日
「あぁー!もぉーうるさいなあ!!自分で決めたことなんだから大丈夫だって!!わざわざ不安を煽るような事は言わないでよ!!すこしは私の気持ちも考えて!最初っから上手くいくわけないでしょお!?自分の娘ならちょっとくらい応援してくれたっていいじゃん!!!」
と自分でもビックリするぐらい大声で母に怒鳴ってしまった。
はっとして
「やばい!怒られる」と思ったが母は何も言わず、悲しいような怒っているようなどこか複雑な顔をしてそのまま車に乗って行ってしまった。
いつもと違う母の様子に少し戸惑ったが、特に止めもせず、イライラしながらもテレビや携帯を見て一人で適当に時間を潰した。
夕方をすぎても夜になっても母は帰って来なかった。遅い。遅すぎる。
まさか事故にでもあったのか‥?冗談じゃない。それだったら病院から電話があるはず‥
なんて考えていたら外で母の車のエンジンの音が聞こえた。
「ただいまー。」
いつも通りの母の声にほっとした反面、なんでこんな帰りが遅いのか問いただそうとした瞬間、
目の前にやたらと大きな薬局の袋が置かれた。
「何これ?」と母に聞くと、
重たそうなその袋を見ながら
「あんたの薬。一人暮らしするとき薬がなかったら大変でしょう。とりあえず一通りあったもの買ってきたから。あんたはすぐ体調崩すからねぇ。」
頭痛薬、咳止め、湿布や包帯、口内炎の薬、のど飴など袋の中にはありとあらゆる種類の薬が入っていた。
「こんなにたくさん‥」驚いてもうそれしか言えなかった。こんな時間まで私のために母は‥
「一人暮らしかぁー。見送ってやらなきゃいけないのにねぇ。お母さん心配でね、すごく寂しいのよ。
風邪引いた時とか本当はお母さんがそばにいてあげたいんだけどねぇ。」
もうそれ聞いて涙が溢れて溢れて、自分の不甲斐なさと母への申し訳なさで顔あげられなかった。薬だって決して安いもんじゃないのに。
自分の娘を応援しない母親なんて居るはずないのに、なんで気づいてあげられなかったんだろう。もっと応援しろだなんて‥
一番私のことを思ってくれて支えてくれたのは他でもなくお母さんなんだよね。
分からず屋でゴメン。いつもいつもいつもいつもありがとう。
その後、遅めの晩御飯を母と一緒に食べました。
残り少ない母の味をもっと大切にして行こうと思います。

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娘に残した3本のビデオ

サキちゃんのママは重い病気と闘っていたが、死期を悟ってパパを枕元に呼んだ。
その時、サキちゃんはまだ2歳。
「あなた、サキのためにビデオを3本残します。
 このビデオの1本目は、サキの3歳の誕生日に。2本目は小学校の入学式に。
 そして3本目は…○○○の日に見せてあげてください」
まもなく、サキちゃんのママは天国へと旅立った。

そして、サキちゃんの3歳の誕生日。1本目のビデオがかけられた。
(ビデオからつないだテレビ画面に、病室のママが映し出される)
「サキちゃん、お誕生日おめでとう。ママ、うれしいなぁ。
 でもママはね、テレビの中に引っ越したの。だから、こうやってしか会えない。
 パパの言うことをよく聞いて、おりこうさんでいてね。だったら、ママ、また会いに来ます」

サキちゃんの小学校入学の日。2本目のビデオ。
「サキちゃん、大きくなったネ。おめでとう……。ママ、うれしいな。どんなにこの日を待っていたか。
 サキちゃん、ちゃんと聞いてね。
 ママが今住んでいるところは、天国なの。だから、もう会えない。
 でもね、パパのお手伝いがちゃんとできたら、ママ、もう一回だけ、会いに来ます。
 じゃあ、魔法をかけるよ。 エイッ!
 ほうら、サキちゃんは料理や洗濯ができるようになりました」

そして3本目のビデオ。そのタイトルは、こう書いてあった。

新しいママが来た日のサキちゃんに


そしてサキちゃんが10歳の時、パパは再婚し、新しいママが来た。
3人いっしょに、3本目のビデオを見つめた。
なつかしいママの顔が映し出された。
「サキちゃん、おうちの仕事、がんばったね。えらかったね。
 でも、もう大丈夫。新しいママが来たんだから。
 ……
 サキちゃん。今日で本当にお別れです。
 ……
 サキちゃん、今、身長はどれくらい?ママには見えない。
 (泣き崩れ、カメラを抱え込む姿が映る)
 ママ、もっと生きたい…。
 あなたのために、おいしいものいっぱいつくってあげたい…。
 あなたの成長を見つめていたい…。
 じゃあ、サキちゃん、これがママの最後の魔法です。
 それは、『ママを忘れる魔法』です。
 ママを忘れて、パパと、新しいママと、楽しい暮らしをつくってください。
 では、魔法をかけます。1、2、3、ハイッ!」
そこでビデオは終わった。

しかし、サキちゃんに、この魔法は効かなかった。
パパと、新しいママにも効かなかった。
ママは、みんなの心の中に、ちゃんと残っていた。

そして今度は、サキちゃんが主役の、4本目のビデオがつくられたのだった。
天国のママに見てもらうために

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生んでくれてありがとう

母が死んで今日で一年とちょっと。高齢出産だったこともあって、
俺の同年代の友達の親と比べると明らかに年くってた。
俺が「なんでもっと若く生んでくれなかったの!?」と責めたこともあった。
俺が思春期のころとにかく心配性な母がうざいのと、親父には恐くて
何も言えなかったから何でもかんでも
母に当たってた。たくさん文句言って寝ようと自分の部屋に入ったとき
母のすすり泣く声が聞こえたときは自分の不甲斐なさに気付き俺も泣いた。


お母さんが死ぬ時っていつか来るってわかってた。
でも気付いてからは遅いんだよね。そんな俺も今年で23才になる。
20才を迎えたくらいから親孝行したいなって思って
高齢出産だった母に孫の顔を見せてあげたいなって思ってた。
それで、先月生理来ない彼女が病院行ったら子供が出来てたよ。お母さん。
無事に生まれてくれたらいいな。
俺を生んでくれてありがとう。高齢出産だったから辛かったろう。
でも孫の顔見せてあげたかったな。抱かせてあげたかったな。
でももうお母さんの笑顔見れないんだよね。あの笑い声ももう聞けないんだよね。
でも俺少しは一人前の大人になったよ。学歴も無いし給料安いけど
ついに家庭を持つよ。こんな幸せなことってなかなか無いよね。

俺の子供にはお母さんからもらった優しさを少しでも分けてあげたい。
休みの日は子供といっぱい遊ぶ。俺が小さい頃のお母さんよりは
動けると思うよ。なんたってまだ俺若いからね。

お母さんが死ぬ前日に俺に言った言葉。
「今日はお風呂入ってもう寝なさい」
あの時寝なきゃ良かったな。今でも思うよ。一晩中話しとけば良かったよ。
なんで死んじゃうんだよ。お母さん。もっといっぱい甘えとけば良かった。
もっといっぱい話したかった。旅行に連れて行ってあげたかった。
それで美味しい物いっぱい食べさせてあげたかった。
次の日冷たい体に抱きしめても、声かけても何も返って来なかったよ。
お母さん、天国から俺の事見える?
俺の事もう心配しなくていいからね。子供の名前何にしようかな。
お母さんだったらどうする?明日仕事休みだから彼女とお墓参り行くよ。

最後に生きてるとき言いたかったけど言えなかった言葉。
「お母さん、生んでくれてありがとう」



2024年8月13日火曜日

母親系泣けるコピペを連投①

とにかく泣ける母親系コピペを連続でどうぞ。
母の愛、思い出は偉大ですね。


母がプロ野球のチケットをもらってきた

幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。
学もなく、技術もなかった母は、
個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。
それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので、
何とか母子二人で質素に暮らしていけた。

娯楽をする余裕なんてなく、
日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに遊びに行っていた。
給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。

ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。
俺は生まれて初めてのプロ野球観戦に興奮し、
母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。

野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。
母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。
チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わなければいけないと言われ、
帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、
外のベンチで弁当を食べて帰った。
電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。

俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、
母に孫を見せてやることもできた。
そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように
「野球、ごめんね」と言った。
俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。

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ハッピーバースデー

漏れが就職して初めてのボーナスが出た日、職場の皆で呑みに行った。
ベロベロに酔っ払って、ゲーセンは行ったらケーキの形したぬいぐるみのUFOキャッチャーがあった。
3000円ぐらい使って1コ取って、気になってた同僚の女の子にあげようと思ったら、「いらな~い」って言われた。
どうしていいやらわからずに、とりあえずカバンに入れてそのまま持って帰った。
ケーキのイチゴの部分を押すと、電子メロディで「ハッピーバースデー」の曲が流れた。
ちょうど母親の誕生日が近かったので、それとなく「母ちゃん、これあげる」って渡した。
今まで誕生日プレゼントなんてあげたのは2、3回しかなかった。照れくさかったから。
母親は驚いた顔をしつつ、ニコニコしながら受け取った。
「ここを押すとメロディが流れるから」って教えると、延々とハッピーバースデーを聴いていた。

2年後の母親の誕生日。
仕事がキツくて夜中まで働いた翌朝、起きる時間まであと20分あった。
朝の20分の睡眠時間は貴重だった。
なのに、耳元で耳障りな電子音が聞こえてきた。
例のケーキのぬいぐるみだった。
母親が、
「メロディ止まらなくなっちゃったのよ、なんとかして」
と言って立っていた。

「知らねーよ。眠いんだから出て行け」

と言ったら、母親はぬいぐるみを俺の枕元に置いていった。
けたたましく鳴り響くハッピーバースデーのメロディに、漏れはブチ切れて

「ふざけんなよ、うるせーんだよ!」

といってぬいぐるみを廊下に叩きつけた。
唖然としてぬいぐるみを拾い上げる母親。
メロディは鳴らなくなっていた。
母親がうっすらと涙を浮かべていたのに気が付いてはいたが、そのままベッドにもぐりこんだ。

朝食は無言のまま。バツが悪いのでさっさと出勤した。


それから母親がそのぬいぐるみの事を口にする事はなかった。
でも、漏れは知っている。押入れのたんすの中にそっとしまわれている事を。
もう8年ぐらい前の話だ。

母親はまだ健在だが、どうしてもあの時自分がしてしまった事を後悔している。
なんとか、あのぬいぐるみを直してやりたい。

誰か、知らないだろうか?
ボタン電池ぐらいの大きさで、押すと電子メロディでハッピーバースデーが流れる小さな回路を。
どこか売っていたら教えてくれ。頼むから…

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ありがとう、お母さん。

私を大学に通わせてくれた母へ

あなたは私を産むまでずっと父の暴力に苦しんでいましたね
私が産まれて時、あなたは泣きながら喜んだんですね
私が一歳の誕生日に、借金を抱えたまま父が自殺しましたね
借金を返すために昼はパート夜は居酒屋で仕事の毎日でしたね
保育園では遠足のおやつは雑穀のおはぎでしたね
小学校の給食費を払えない月もありましたね
修学旅行のおみやげはご当地キーホルダーだけでしたね
中学の制服は親戚のおさがりでしたね
高校のお弁当はいつもご飯に梅干しと海苔でしたね

無理を承知で大学行きたいと頼んだ時、あなたは反論しませんでしたね
ごみ処理場から捨てる予定の参考書をもらいに行きましたね
お金がかかるから私立は受けられず、国立専願受験でしたね
センター試験の前日には初めて特上寿司を食べさせてくれましたね
センター試験に失敗したけど、あなたは最後まで諦めないよう励ましてくれましたね
前期に落ちて、一度私は自殺しかけましたね
あなたは怒ることもなく、ずっと私に謝り続けていましたね
私もあなたにずっと謝り続けましたね
そして私は気持ちを切り替えて後 私はその後も頑張って勉強して、なんとか後期に合格することが出来ましたね あなたはずっと「おめでとう、おめでとう」と泣き続けてくれましたね

でもあなたは入学の準備の時に急に倒れて病院に運ばれましたね 医者が、癌が全身に転移していてこれから一週間が峠だと告げましたね
私がただただ泣き続けている時にあなたは「この体の傷や癌の一つ一つがあなたを育てあげた立派な勲章なのよ」と微笑みながら言いましたね 
あなたは最後まで泣くことも苦しむこともなく、静かにこの世を去りましたね

今私は医者になるために毎日一生懸命に勉強していますよ あなたの命を奪った癌に苦しむ人々を治療して助けたいから
私が育った環境は決して恵まれてはいなかったけれど、あなたに生まれ、育てられて本当によかったよ

ありがとう、お母さん。

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母親の誕生日

還暦を迎えた母に誕生日おめでとうメールを送った返信。

件名:ありがとう
本文:ついに60代になってしまいました。
思い返せば、30代は小さなあなた方を夢中で見つめていました。
40代は、若々しく成長していくあなた方に見とれていました。
50代は頼もしく輝いていくあなた方に目を奪われていました。
あなた方がみんな素敵な伴侶を見つけ、巣立って行ってから迎えた60代は
20代の頃に戻ってもう一度お父さんと見つめ合おうと思います。


うっかり感動してしまった。

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捨ててしまった弁当

母子家庭だったうちは貧乏極まりなかった。
高校になってから、毎日お弁当を作ってくれたんだけど、友達のほとんどは学食で食べていて、弁当持参がとても嫌だった。
ある日、いつものように弁当を作ってくれた母親に「お前の弁当なんていらねーんだよ!」と台所に捨ててしまった。
キョトンとした後に悲しそうなあの表情、今でも忘れられない。その後怒るどころか、「ごめんな、料理下手だから気に食わないんだね」って泣いてた。
結局その後お弁当は作らずに、毎日400円貰ってた。母親の稼ぎは相当低かったのに、やりくりして出してたんだろうな。
何度も謝ろうとしたんだけど、結局言い出せなかった。
そんな俺も社会人になったんだが、母親がガンで逝ってしまった。
家を片付けてると、学生の時に作ってくれていた弁当箱を発見した。
結局、弁当を捨ててしまった事は話題すらしなく謝れないままだった。
朝早起きしてくれて作ってくれてたお弁当、愛情がこもったお弁当、なんであんな事してしまったんだろう、なんで謝れなかったんだろうって今でも後悔しまくり。
自炊するたびに、母ちゃんは手間隙かけて作ってくれてたんだなぁって痛感するよ。
本当にごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、むしのいい話ですが、お母さんのお弁当が食べたいです!

2021年10月1日金曜日

面接

 火曜日に正社員の面接行ったのね。もうこれで20数社目。今まで全部駄目だった。
それで、その日は車でしか行けないところだったんで、母親が仕事を休んで付き添ってくれた。駐車場の車内に母を待たせて面接してもらった。
出てきたのは社長と人事課長。社長が絵に書いたような悪人顔でさ。
鼻くそほじりながら履歴書見て
「職歴なし?あんたもう30だろ?」
「バイトなら経験あるっていったって職歴なしは職歴なしだろう?」
「うちでそんなの雇うわけないだろ?もう帰ってくれ。用はないだろ。終わり終わり」
車に戻ると母は面接には触れず、
「また明日から暑くなるんだって、今ラジオで行ってた」
「ごはん食べて帰ろうか」
って。無言のままうどん屋に入ってカツ丼食べた。
そしたら母親が
「受かるといいねー」
って言うからさ、俺答えに困っちゃってさ。で、いろんな言い訳考えた末に正直に
「いや、駄目だったんだ、今日も」
といった。母親、
「また次も送っていくよ、カツ丼、あんまりおいしくなかったね」
だってさ。今頃になって泣けてきたよ。情けねーなー。就職してーなー。
今まで何やってたんだろうな、俺は。

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こういう家族が絡んだ話は心にぐっとくる・・・

ニートが悪いのは間違いないんだけど、母・・・

こうちゃん

合格発表の日

合格発表の日
(‘A`) カーチャン、帝京大学も明星大学もサイバー大学も落ちた。
J( ‘ー`)し カーチャン、お金がなくて私立は通わせられないよ。明治の2部でいい?
4年後
(‘A`) 採用試験、また落ちた。2部卒じゃだめなのかな?
J( ‘ー`)し ユウチャンはイイ子だから、そのうちイイ仕事が見つかるよ。のんびり探してごらん。
J( ‘ー`)し 今の時代、パソコンぐらいできないとダメなのかも・・・
      ユウチャン、パソコン買おうか?
(‘A`) パソコンかー、欲しいいけど貧乏でお金ないからいいよ。
J( ‘ー`)し カーチャン、パートの仕事増やすから大丈夫だよ。
<店員> インタネットセッティングサービスを含めまして25万円です。
J( ‘ー`)し こんなに高い買い物をしたのはオトーチャンが死んでから始めてだよ。
      ユウチャン、いい仕事が見つかるとイイネ。
(`Д) インターネット、オモシレーなー。ネットゲーム最高だぜぃ。お!レア物ゲトだぁ!
J( ‘ー`)し ユウチャン、パソコンのベンキョウ頑張ってるなー。
       いい仕事が見つかるといいねー。
       カーチャンも頑張らなきゃ。
(`Д) ・・・・(パソコンの勉強か、そのうちやるよ。今、ギルドの幹部になっちまって忙しい)
J( ‘ー`)し ユウチャン、カーチャン、ちょっと疲れた。肩を揉んでほしい
(`Д) 今、ベンキョウで忙しいんだよ
J( ‘ー`)し ユウチャン、ガンバッテルナー。カーチャン、嬉しい。
       いい仕事が見つかって、優しい彼女も  できるよ。

2021年9月3日金曜日

水族館の裏側ツアー

 10組限定の「水族館の裏側ツアー」的なヤツやってたから参加しようと思って集合場所行ったら

家族連れとかカップルとかで12組いて俺だけ一人だったのよ


そしたら「抽選になりまぁす」とか言って抽選箱出てきて

これ俺が当選して家族連れが外れたりしたらヤベエな、って思って「やっぱいいです」ってその場を離れたら

「じゃあ今日は特別に11組で」みたいな事になって俺以外の全員でゾロゾロ行っちゃった


さすがに「何だそれ」って思ったね

2021年8月19日木曜日

錆びたハンドクリーム缶

俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。。。
すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。
俺が小6のときにクラスの給食費が無くなった時なんて、
「ファミコン持ってない奴が怪しい」なんて、真っ先に疑われたっけ。
貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!って悪態ついたときの
母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ、、。
どーしても欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。
これでようやく遊べると思ったんだけど、ニチイのゲーム売り場の前まで来て買うのやめた。
そのかわりに小3の妹にアシックスのジャージを買ってやった。
いままで俺のお下がりを折って着ていたから。
母にはハンドクリーム買ってやった。
いっつも手が荒れてたから。
去年俺は結婚したんだけど、
結婚式前日に母に大事そうに錆びた ハンドクリームの缶を見せられた。