2019年1月26日土曜日

母の優しさ

ちょっとした事で母とケンカした。
3月に高校を卒業し、晴れて4月から専門学生となる私は、
一人暮らしになる不安からかここ最近ずっとピリピリしていた。
「そんなんで本当に一人暮らしなんて出来るの?あんたいっつも寝てばっかで‥ゴミ出す曜日は確認した?朝は起きられるの?火事だけには気をつけてよね?」
事あるごとに聞かされる母の言葉にうんざりして、
ついに今日
「あぁー!もぉーうるさいなあ!!自分で決めたことなんだから大丈夫だって!!わざわざ不安を煽るような事は言わないでよ!!すこしは私の気持ちも考えて!最初っから上手くいくわけないでしょお!?自分の娘ならちょっとくらい応援してくれたっていいじゃん!!!」
と自分でもビックリするぐらい大声で母に怒鳴ってしまった。
はっとして
「やばい!怒られる」と思ったが母は何も言わず、悲しいような怒っているようなどこか複雑な顔をしてそのまま車に乗って行ってしまった。
いつもと違う母の様子に少し戸惑ったが、特に止めもせず、イライラしながらもテレビや携帯を見て一人で適当に時間を潰した。
夕方をすぎても夜になっても母は帰って来なかった。遅い。遅すぎる。
まさか事故にでもあったのか‥?冗談じゃない。それだったら病院から電話があるはず‥
なんて考えていたら外で母の車のエンジンの音が聞こえた。
「ただいまー。」
いつも通りの母の声にほっとした反面、なんでこんな帰りが遅いのか問いただそうとした瞬間、
目の前にやたらと大きな薬局の袋が置かれた。
「何これ?」と母に聞くと、
重たそうなその袋を見ながら
「あんたの薬。一人暮らしするとき薬がなかったら大変でしょう。とりあえず一通りあったもの買ってきたから。あんたはすぐ体調崩すからねぇ。」
頭痛薬、咳止め、湿布や包帯、口内炎の薬、のど飴など袋の中にはありとあらゆる種類の薬が入っていた。
「こんなにたくさん‥」驚いてもうそれしか言えなかった。こんな時間まで私のために母は‥
「一人暮らしかぁー。見送ってやらなきゃいけないのにねぇ。お母さん心配でね、すごく寂しいのよ。
風邪引いた時とか本当はお母さんがそばにいてあげたいんだけどねぇ。」
もうそれ聞いて涙が溢れて溢れて、自分の不甲斐なさと母への申し訳なさで顔あげられなかった。薬だって決して安いもんじゃないのに。
自分の娘を応援しない母親なんて居るはずないのに、なんで気づいてあげられなかったんだろう。もっと応援しろだなんて‥
一番私のことを思ってくれて支えてくれたのは他でもなくお母さんなんだよね。
分からず屋でゴメン。いつもいつもいつもいつもありがとう。
その後、遅めの晩御飯を母と一緒に食べました。
残り少ない母の味をもっと大切にして行こうと思います。

生んでくれてありがとう

母が死んで今日で一年とちょっと。高齢出産だったこともあって、
俺の同年代の友達の親と比べると明らかに年くってた。
俺が「なんでもっと若く生んでくれなかったの!?」と責めたこともあった。
俺が思春期のころとにかく心配性な母がうざいのと、親父には恐くて
何も言えなかったから何でもかんでも
母に当たってた。たくさん文句言って寝ようと自分の部屋に入ったとき
母のすすり泣く声が聞こえたときは自分の不甲斐なさに気付き俺も泣いた。


お母さんが死ぬ時っていつか来るってわかってた。
でも気付いてからは遅いんだよね。そんな俺も今年で23才になる。
20才を迎えたくらいから親孝行したいなって思って
高齢出産だった母に孫の顔を見せてあげたいなって思ってた。
それで、先月生理来ない彼女が病院行ったら子供が出来てたよ。お母さん。
無事に生まれてくれたらいいな。
俺を生んでくれてありがとう。高齢出産だったから辛かったろう。
でも孫の顔見せてあげたかったな。抱かせてあげたかったな。
でももうお母さんの笑顔見れないんだよね。あの笑い声ももう聞けないんだよね。
でも俺少しは一人前の大人になったよ。学歴も無いし給料安いけど
ついに家庭を持つよ。こんな幸せなことってなかなか無いよね。

俺の子供にはお母さんからもらった優しさを少しでも分けてあげたい。
休みの日は子供といっぱい遊ぶ。俺が小さい頃のお母さんよりは
動けると思うよ。なんたってまだ俺若いからね。

お母さんが死ぬ前日に俺に言った言葉。
「今日はお風呂入ってもう寝なさい」
あの時寝なきゃ良かったな。今でも思うよ。一晩中話しとけば良かったよ。
なんで死んじゃうんだよ。お母さん。もっといっぱい甘えとけば良かった。
もっといっぱい話したかった。旅行に連れて行ってあげたかった。
それで美味しい物いっぱい食べさせてあげたかった。
次の日冷たい体に抱きしめても、声かけても何も返って来なかったよ。
お母さん、天国から俺の事見える?
俺の事もう心配しなくていいからね。子供の名前何にしようかな。
お母さんだったらどうする?明日仕事休みだから彼女とお墓参り行くよ。

最後に生きてるとき言いたかったけど言えなかった言葉。
「お母さん、生んでくれてありがとう」

2019年1月22日火曜日

ワクワクから地獄に

そんなことより聞いてくれよ
この前初めての合コンで王様ゲームやったんだよ
そしたら一番可愛い女の子が王様になってさ
「もしかしたら俺とチューなんてことも・・・・」なんてワクワクしてたら
「おまえ帰れ」って命令された

---

悲し過ぎるエピソード

2018年6月5日火曜日

今日珍しく俺は母ちゃんを外食に誘った

今日珍しく俺は母ちゃんを外食に誘った。
行き先は昔からよく行く馴染みのラーメン屋だった。
俺は味噌大盛り、母ちゃんは味噌並み盛りを頼んだ。
「昔からここ美味しいのよね」って、柄にもなく顔にシワよせて笑ってたんだ。

ラーメンが出来上がると、俺も母ちゃんも夢中で麺をすすってた。
あんまりにも母ちゃんがニコニコしながら食べてるもんだから、
俺もつられて笑っちまったよ。

しばらく経って、ラーメンを食い終わった俺はふと母ちゃんの方を見たんだ。
ラーメンの器に浮かぶチャーシューが一枚、二枚、三枚・・。そのチャーシューを捲ると麺がまだ沢山余ってた。
母ちゃんは俺の方を申し訳なさそうに見て、「ごめんね、母ちゃんもう年だから。ごめんね」と繰り返してた。
「んなもんしゃーねーべ」と言うと、俺は母ちゃんの残したラーメンをすすった。
そういやガキの頃、よく無理して大盛り頼んで、結局食べきれなくて母ちゃんに食ってもらってたっけ。
いつの間にか立場も逆転。あんなに若かった母ちゃんの顔も今じゃシワだらけで、背丈も頭一個分違う。
そのシワの数程今まで散々迷惑掛けたんだろうなって思うと、悔しさと不甲斐なさで涙が出てくる。
母ちゃん、こんな俺を今まで育ててくれてありがとう。


俺、立派な社会人になるわ。

2018年5月18日金曜日

明日のドライブの為におはぎをこしらえた

会社が棚卸しで振り替え休日があったので
会社の若い連中、男女3:3で海にドライブに行った
私は途中で腹が減ると思ったので
人数分×3個のおはぎを、前の晩からこしらえた。
「気のきく人」と思われて好感度アップ間違い無しと確信して
寝不足ながらウキウキ気分で出発。
ひそかに思いを寄せるN男さんもお洒落な服で張り切っている。
10時ごろ、ブサイクな同僚♂(29才喪男)が
「ソフトクリームがたべたい」と言い出したので
私は「お、おはぎならありますけど・・」とやや控えめに
18個の色とりどりのおはぎ(あん・青海苔・きなこ)を紙袋からとり出した。
一瞬「しーん」となって、ブサイクな同僚♂が
「喪女さんが握ったの?うわwwおばあちゃんみたいwww」と言った。
他の女が「ちゃんと洗った手で作ったの?今の季節雑菌は危ないよ、ほら、ここやばくない?」と言った。
爆笑が起こった。18個のおはぎは誰の口にも入らなかった。
私はほぼ半泣き状態で、おはぎをしまった。
人づてに聞いた話だけど、N男さんも「ちょっとあれは食べらんないw」と
言っていたらしい。

---
有名な話だけど、ちょっと切ない・・・。
その気持ちは買うけど、もう少し選択がよければと。


燃えPaPa

2018年4月27日金曜日

無職スロプーの男

知り合いの話なんだけど
そいつが無職スロプーで
母親と二人暮らしなんだけど母親が突発性の緑内障になり
今すぐ病院に行かないと失明する、ってくらいヤバいときに
金がないんで放置してたら 

そいつに別居してる兄貴がいて
「とにかくすぐに病院連れて行けよ!」って20万置いて行った
兄貴も忙しいんで金置いて仕事に戻ったらしいんだけど
そのバカは置いていった金に手をつけて「押忍 番長!」を打ち
結局20万全部負けた

母親には適当にドラッグストアで買った目薬を与えて
寝かせておいた母は地獄の苦しみの中で
「ああ、ありがとう、XXちゃんが目薬買ってきてくれたんで楽になったよ」
と言いながら食事もとらず ボロ布団のなかで徐々に失明していった
衰弱しきった母を兄が救急車で運んだときには
完全に失明し極度の栄養失調に陥ってたらしい

マジで実話です ほんとうに人間って怖いわ

2018年3月12日月曜日

娘が六歳で死んだ

こんばんは、燃えPaPaです。

---

娘が六歳で死んだ
ある日突然、風呂に入れている最中意識を失った。

直接の死因は心臓発作なのだが、持病のない子だったので
病院も不審に思ったらしく、俺は警察の事情聴取まで受けた。
葬式には別れた女房が「彼氏」同伴でやって来たが、
もはや俺にはその無神経に腹を立てる気力もなく、機械的にすませた。
初七日も済んで、俺は独りで映画を観にいき、娘が観たがっていた
ゴジラととっとこハム太郎の二本立てを観ることにした。
とっとこぉはしるよハム太郎♪の歌を聴いた瞬間、やっぱり俺は泣いた。
6歳にもなって活舌の悪い娘が、この歌を一生懸命覚えて、
とっとこぉ、はしゆよ、はむたよお♪と歌っていたっけ。
ハム太郎の紙コロジーだってクリスマスに買ってやるつもりだった。
女親のいない家庭だったが、少しでも女の子らしくと、
服を買うときだって、面倒がらずに吟味を重ねた。
学校だって、行きたいところに行かせてやるつもりだったし
成人式には、ちゃんと着物を着せてやるつもりだった。
女房と離婚してから俺は100%子供のために生きることにして、
必死にやってきたのに、この世に神様なんて絶対いないんだと知った。

---

これは誰も救われないし、悪くないし、ただ悲しいですね。

燃えPaPa