こんばんは、こうちゃんです。
当時の俺はリア厨だったよ。
そのころ俺はどうしてもほしいものがあってな。
今考えるとどうしてそんなものほしがったんだ?と首を傾げたくなるんだが。
俺は地球儀がほしかった。もちろん国名、地名が入ってるやつな。
俺はそれが欲しくて欲しくて、おやつも我慢して、親の手伝いを必死こいてやって毎日毎日、少しずつ小金をためていたんだ。
そうやってちまちま小金をため始めて1年ぐらい経って、ようやく念願の地球儀が買えたんだ。
今でも覚えてる。青くピカピカ光ってて、友人にも見せびらかしたよ。
でもな・・・。
買 っ た 2 日 後 に ソ 連 が 崩 壊 し て し ま っ て な 。
三日三晩泣きどおしだったな。
こうちゃん
2019年12月28日土曜日
2019年9月16日月曜日
病気で恋人が
昨日、恋人が死んじゃったんです。病気で。
そしたらなんか通夜が終わって病院に置いて来た荷物とか改めて取りに行ったら
その荷物の中に俺宛に手紙が入ってたんです。
で、よく見たらなんか「わたしの人生は普通の人よりも短かった、だけど〇〇君と一緒に
過ごせたことで普通の人よりもずっと幸せな日々を送れた」、とか書いてあるんです。 もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前な、そんなこといまさら言ってんじゃねーよ、ボケが。死んだ後だよ、もうお前いねぇんだよ。
なんか最後の方はろくに起き上がれもしなかったくせに。弱々しい字で必死で書いてたのか。おめでてーな。
よーし〇〇君のことずっと見守ってるぞー、とか書いてるの。もう見てらんない。
お前な、俺だってまだ言いたいこと沢山あったんだから生き返ってこいと。
愛の言葉ってのはな、もっと生きてるうちに伝えるべきなんだよ。
初めて出会った頃みたいにドギマギして恥ずかしさの余りいつ心臓が破裂してもおかしくない、
言おうか言わざるべきか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。今になってこんな事言い出すやつは、すっこんでろ。
で、やっと涙堪えながら読み終わったと思ったら、最後の方に、「わたしの事は忘れて他の人と幸せになって欲しい」、
とか書いてあるんです。 そこでまたぶち切れですよ。
あのな、俺はお前がホントに死んだなんて信じらんねーんだよ。ボケが。 得意げな顔して何が、見守ってる、だ。
お前は本当にこの世にいないのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、これは全部タチの悪い夢でホントはどっかで生きてるんちゃうんかと。
独り残された俺から言わせてもらえば今、お前に対してできる供養はやっぱり、 お前の事を忘れないこと、これだね。
たとえジジイになってボケたとしても。これが俺の生き方。
お前との思い出ってのは俺には辛すぎる。そん代わり忘れない。これ。 で、それにお前の事をずっと想い続ける。これ最強。
しかしこれを貫くと次から恋人が2度と出来ないかもしれないという危険も伴う、諸刃の剣。 軟弱者にはお薦め出来ない。
まあお前みたいな寂しがりやは、俺がいつかそっちに行くまで待ってなさいってこった。
そしたらなんか通夜が終わって病院に置いて来た荷物とか改めて取りに行ったら
その荷物の中に俺宛に手紙が入ってたんです。
で、よく見たらなんか「わたしの人生は普通の人よりも短かった、だけど〇〇君と一緒に
過ごせたことで普通の人よりもずっと幸せな日々を送れた」、とか書いてあるんです。 もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前な、そんなこといまさら言ってんじゃねーよ、ボケが。死んだ後だよ、もうお前いねぇんだよ。
なんか最後の方はろくに起き上がれもしなかったくせに。弱々しい字で必死で書いてたのか。おめでてーな。
よーし〇〇君のことずっと見守ってるぞー、とか書いてるの。もう見てらんない。
お前な、俺だってまだ言いたいこと沢山あったんだから生き返ってこいと。
愛の言葉ってのはな、もっと生きてるうちに伝えるべきなんだよ。
初めて出会った頃みたいにドギマギして恥ずかしさの余りいつ心臓が破裂してもおかしくない、
言おうか言わざるべきか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。今になってこんな事言い出すやつは、すっこんでろ。
で、やっと涙堪えながら読み終わったと思ったら、最後の方に、「わたしの事は忘れて他の人と幸せになって欲しい」、
とか書いてあるんです。 そこでまたぶち切れですよ。
あのな、俺はお前がホントに死んだなんて信じらんねーんだよ。ボケが。 得意げな顔して何が、見守ってる、だ。
お前は本当にこの世にいないのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、これは全部タチの悪い夢でホントはどっかで生きてるんちゃうんかと。
独り残された俺から言わせてもらえば今、お前に対してできる供養はやっぱり、 お前の事を忘れないこと、これだね。
たとえジジイになってボケたとしても。これが俺の生き方。
お前との思い出ってのは俺には辛すぎる。そん代わり忘れない。これ。 で、それにお前の事をずっと想い続ける。これ最強。
しかしこれを貫くと次から恋人が2度と出来ないかもしれないという危険も伴う、諸刃の剣。 軟弱者にはお薦め出来ない。
まあお前みたいな寂しがりやは、俺がいつかそっちに行くまで待ってなさいってこった。
プラモデルと彼女
俺には可愛い彼女がいた
性格は素直でスタイルも良かったが周囲からは
「えwあの女と付き合ってるのwwwお幸せにw」とよく馬鹿にされた
彼女は頭が非常に弱かった
高校を中退し、通信制の学校を4年かけてやっと卒業、まともな職にもつけず
派遣会社で毎日を繋ぐどうしようもない女
おまけに中学時代から周りの男に騙されては性欲処理に使われていた
友人の紹介で彼女と付き合い始めたのだが、これは、彼女が妊娠しても俺に責任を押し付けられるという算段があっての事だったらしい
付き合って1年は仲良く過ごしたがやはり彼女といるのが恥ずかしくなっていった
周りの目を気にしていたのは言うまでも無い
彼女は俺に甘えたり、俺の気を引こうとしていたがそれも逆にウザく感じるようになった
大学で良い結果が出せないことでイライラしていた俺は彼女に冷たくするようになった
ある日胃腸炎で寝込んだ俺の家に彼女が来る事になった
嫌な予感はしていたが全く予感は的中した
皿は割る、洗剤はこぼす、まだ乾いてない洗濯物をベッドに放り込む、お粥は煮えすぎて不味い
極めつけは、俺が大事にしていたエンタープライズ(戦艦)のプラモをぶっ壊したことだ
棚を掃除しようとして落っことしてしまったらしい
俺は完全にキレた
「もう、何やってんだよ!!死ね!帰れ!」と叫び彼女を突き飛ばした
彼女は泣きながら「ごめんね」とつぶやいて玄関に消えていった
それから一週間後、彼女は交通事故に遭った
連絡を受けて病室に入ると、医者が「ご家族の方ですか?」と言ってきた
俺は首を横に振った
「お友達?良かった、家族の方と連絡が取れなくて困ってたんです」
そう言って医者は彼女の酸素マスクを取って一言残して部屋を出て行った
「手を尽くしましたが今夜が最後です」
どれだけ時間が経っただろうか、深夜になり彼女が目を覚ました
崩れてゼリー状になった目から血が混じった涙がこぼれた
「ゆう君(←俺)・・・」
彼女は俺の手を握った
もう、握るというほどの力も無かったが
「・・ゆう君のこと考えてたら・・・私、信号見てなくて・・・」
彼女の息が荒くなった
「・・・・ゆう君の家、また行っていい?仲直り・・」
「いつでも来いよ・・元気になったら」
彼女はニコっと笑った
「・・・ゆう君・・」
「料理も掃除も教えてやる。でもその前に怪我治せ・・・おい!」
彼女は死んでいた
その後のことは良く覚えていない
医者と看護士が慌しく入ってきて死亡判断?のような事をやっているのを眺めていた
そして気がついたら彼女は棺桶に入っていた
のろのろと病院に来た家族の人たちは冷めた表情だった
葬式も告別式も身全てが事務的だった
悲しんでる人はいなかった
「ああめんどくさい」と愚痴るやつもいたと思う
後日、家族の人に頼まれて彼女の家を整理しに行った
古ぼけたアパートで部屋も狭かった
相当質素な生活をしていただろう
机に日記帳があったので開けてみると下手な字で俺との出来事が書き込まれていた
日付は交通事故の前日で止まっていた
涙が止まらなかった
「ゆう君の大せつなエンターぷラいずをぷラモデルやさんでつくった
みせの人にてつだってもらったけどじょうずにできたかな
あしたはこれをもってゆう君のいえにゆこう
おかゆもそうじもれんしゅうしたから
ゆう君は、よろこんでほしいな」
今、彼女の墓は吉祥寺にある
もし願い事が一つ叶うなら、この愚かな俺に、もう一度彼女を会わせて欲しい
性格は素直でスタイルも良かったが周囲からは
「えwあの女と付き合ってるのwwwお幸せにw」とよく馬鹿にされた
彼女は頭が非常に弱かった
高校を中退し、通信制の学校を4年かけてやっと卒業、まともな職にもつけず
派遣会社で毎日を繋ぐどうしようもない女
おまけに中学時代から周りの男に騙されては性欲処理に使われていた
友人の紹介で彼女と付き合い始めたのだが、これは、彼女が妊娠しても俺に責任を押し付けられるという算段があっての事だったらしい
付き合って1年は仲良く過ごしたがやはり彼女といるのが恥ずかしくなっていった
周りの目を気にしていたのは言うまでも無い
彼女は俺に甘えたり、俺の気を引こうとしていたがそれも逆にウザく感じるようになった
大学で良い結果が出せないことでイライラしていた俺は彼女に冷たくするようになった
ある日胃腸炎で寝込んだ俺の家に彼女が来る事になった
嫌な予感はしていたが全く予感は的中した
皿は割る、洗剤はこぼす、まだ乾いてない洗濯物をベッドに放り込む、お粥は煮えすぎて不味い
極めつけは、俺が大事にしていたエンタープライズ(戦艦)のプラモをぶっ壊したことだ
棚を掃除しようとして落っことしてしまったらしい
俺は完全にキレた
「もう、何やってんだよ!!死ね!帰れ!」と叫び彼女を突き飛ばした
彼女は泣きながら「ごめんね」とつぶやいて玄関に消えていった
それから一週間後、彼女は交通事故に遭った
連絡を受けて病室に入ると、医者が「ご家族の方ですか?」と言ってきた
俺は首を横に振った
「お友達?良かった、家族の方と連絡が取れなくて困ってたんです」
そう言って医者は彼女の酸素マスクを取って一言残して部屋を出て行った
「手を尽くしましたが今夜が最後です」
どれだけ時間が経っただろうか、深夜になり彼女が目を覚ました
崩れてゼリー状になった目から血が混じった涙がこぼれた
「ゆう君(←俺)・・・」
彼女は俺の手を握った
もう、握るというほどの力も無かったが
「・・ゆう君のこと考えてたら・・・私、信号見てなくて・・・」
彼女の息が荒くなった
「・・・・ゆう君の家、また行っていい?仲直り・・」
「いつでも来いよ・・元気になったら」
彼女はニコっと笑った
「・・・ゆう君・・」
「料理も掃除も教えてやる。でもその前に怪我治せ・・・おい!」
彼女は死んでいた
その後のことは良く覚えていない
医者と看護士が慌しく入ってきて死亡判断?のような事をやっているのを眺めていた
そして気がついたら彼女は棺桶に入っていた
のろのろと病院に来た家族の人たちは冷めた表情だった
葬式も告別式も身全てが事務的だった
悲しんでる人はいなかった
「ああめんどくさい」と愚痴るやつもいたと思う
後日、家族の人に頼まれて彼女の家を整理しに行った
古ぼけたアパートで部屋も狭かった
相当質素な生活をしていただろう
机に日記帳があったので開けてみると下手な字で俺との出来事が書き込まれていた
日付は交通事故の前日で止まっていた
涙が止まらなかった
「ゆう君の大せつなエンターぷラいずをぷラモデルやさんでつくった
みせの人にてつだってもらったけどじょうずにできたかな
あしたはこれをもってゆう君のいえにゆこう
おかゆもそうじもれんしゅうしたから
ゆう君は、よろこんでほしいな」
今、彼女の墓は吉祥寺にある
もし願い事が一つ叶うなら、この愚かな俺に、もう一度彼女を会わせて欲しい
2019年8月23日金曜日
老猫
去年の冬頃の話です。
家族が猫好きなのは小さい頃僕が子猫を拾ってきたからだと思う。
家族全員に懐いていたが、親にちゃんと世話をしなさいと言われたこともあり率先して世話をしていた僕に一番懐いていた。
就職し実家を離れることになり、他界した祖父の家で空家だった家をリフォームしそこで一人暮らしをする事になった。
半年経ち、実家では母が怪我をした野良猫を連れてきて飼うことになった。
二匹仲良くはあるが、一軒家で一人暮らしの僕によく懐いていた前の猫を飼ってみてはどうかと言う話になった。
僕は快諾して前の猫を引き取った。
猫は序所に新しい家に慣れていった。
風呂場の小さな窓を開けておき、いつでも出入りできるようにしておいた。
3日に一回ぐらいは僕の帰りを玄関や外で待っていてくれた。
猫も拾ってから20年近くたち老猫になった。
ご飯も少ししか食べなくなった。
冬になりあまり外にも出なくなった。
ご飯を食べない日が続き、病気かもしれないと思い病院に連れて行った。
20歳と聞いて獣医も少し驚いていた。
病気ではなく老衰だと云うことだった。
点滴を打ち様子を見ることした。
それでも冬を越せばまた元気になるかもしれないと思いご飯を食べない日が続けば点滴を打ちに病院に行った。
ご飯をまったく食べなくなり、仕事から帰って玄関でまってくれている猫を病院に連れて行くという日が続いた。
費用も嵩み、親や病院の先生からも老衰ならば仕方ないのではないかと言われていた。僕もそれはなんとなくわかっていた。
病院に行くのを止め、仕事から帰ったら鼻の頭にミルクを一滴づつつけ舐めさせた。
いつものように仕事から帰ると玄関で猫が待っていた。
いつものようにコタツの布団の上の自分の席に猫が歩いていくとそこにもう一匹の猫が寝ていた。
玄関から歩いてきた猫は寝ている猫と同じ場所に行き同じ格好をして寝た。
僕は涙が溢れてきた。
猫の隣で僕も寝て、猫に腕枕をして頭を撫ぜた。
少し「ゴロゴロ」と言った。
そして少ししたら「フッ」と息を吐いた。
一時間ぐらいそのままにしていたが、親に電話して泣きながら猫が死んだことを話した。
家族が猫好きなのは小さい頃僕が子猫を拾ってきたからだと思う。
家族全員に懐いていたが、親にちゃんと世話をしなさいと言われたこともあり率先して世話をしていた僕に一番懐いていた。
就職し実家を離れることになり、他界した祖父の家で空家だった家をリフォームしそこで一人暮らしをする事になった。
半年経ち、実家では母が怪我をした野良猫を連れてきて飼うことになった。
二匹仲良くはあるが、一軒家で一人暮らしの僕によく懐いていた前の猫を飼ってみてはどうかと言う話になった。
僕は快諾して前の猫を引き取った。
猫は序所に新しい家に慣れていった。
風呂場の小さな窓を開けておき、いつでも出入りできるようにしておいた。
3日に一回ぐらいは僕の帰りを玄関や外で待っていてくれた。
猫も拾ってから20年近くたち老猫になった。
ご飯も少ししか食べなくなった。
冬になりあまり外にも出なくなった。
ご飯を食べない日が続き、病気かもしれないと思い病院に連れて行った。
20歳と聞いて獣医も少し驚いていた。
病気ではなく老衰だと云うことだった。
点滴を打ち様子を見ることした。
それでも冬を越せばまた元気になるかもしれないと思いご飯を食べない日が続けば点滴を打ちに病院に行った。
ご飯をまったく食べなくなり、仕事から帰って玄関でまってくれている猫を病院に連れて行くという日が続いた。
費用も嵩み、親や病院の先生からも老衰ならば仕方ないのではないかと言われていた。僕もそれはなんとなくわかっていた。
病院に行くのを止め、仕事から帰ったら鼻の頭にミルクを一滴づつつけ舐めさせた。
いつものように仕事から帰ると玄関で猫が待っていた。
いつものようにコタツの布団の上の自分の席に猫が歩いていくとそこにもう一匹の猫が寝ていた。
玄関から歩いてきた猫は寝ている猫と同じ場所に行き同じ格好をして寝た。
僕は涙が溢れてきた。
猫の隣で僕も寝て、猫に腕枕をして頭を撫ぜた。
少し「ゴロゴロ」と言った。
そして少ししたら「フッ」と息を吐いた。
一時間ぐらいそのままにしていたが、親に電話して泣きながら猫が死んだことを話した。
2019年8月18日日曜日
生活保護の悲劇
【日記に「おにぎり食べたい」 生活保護「辞退」男性死亡】
北九州市小倉北区の独り暮らしの男性(52)が自宅で亡くなり、
死後約1カ月たったとみられる状態で10日に見つかった。
男性は昨年末から一時生活保護を受けていたが、4月に「受給廃止」となっていた。
市によると、福祉事務所の勧めで男性が「働きます」と受給の辞退届を出した。
だが、男性が残していた日記には、そうした対応への不満がつづられ、
6月上旬の日付で「おにぎり食べたい」などと空腹や窮状を訴える言葉も
残されていたという。
市などによると、10日、男性宅の異変に気づいた住民らから
小倉北福祉事務所を通じて福岡県警小倉北署に通報があり、駆けつけた署員が
部屋の中で、一部ミイラ化した遺体を発見した。目立った外傷はなく、
事件の可能性は低いという。
男性は肝臓を害し、治療のために病院に通っていた。
市によると、昨年12月7日、福祉事務所に「病気で働けない」と生活保護を申請。
事務所からは「働けるが、手持ち金がなく、生活も窮迫している」と判断され、
同月26日から生活保護を受けることになった。
だが、今春、事務所が病気の調査をしたうえで男性と面談し、
「そろそろ働いてはどうか」などと勧めた。
これに対し男性は「では、働きます」と応じ、生活保護の辞退届を提出。
この結果、受給は4月10日付で打ち切られた。
この対応について男性は日記に「働けないのに働けと言われた」などと
記していたという。
その後も男性は働いていない様子だった。1カ月ほど前に男性に会った
周辺の住民によると、男性はやせ細って、「肝硬変になり、内臓にも
潰瘍(かいよう)が見つかってつらい」と話していたという。
小倉北区役所の常藤秀輝・保護1課長は「辞退届は本人が自発的に出したもの。
男性は生活保護制度を活用して再出発したモデルケースで、
対応に問題はなかったが、亡くなったことは非常に残念」と話している。
同市では05年1月、八幡東区で、介護保険の要介護認定を受けていた
独り暮らしの男性(当時68)が生活保護を認められずに孤独死していた。
06年5月には門司区で身体障害者の男性(当時56)が
ミイラ化した遺体で見つかった。この男性は2回にわたって生活保護を求めたが、
申請書すらもらえなかった。
北九州市小倉北区の独り暮らしの男性(52)が自宅で亡くなり、
死後約1カ月たったとみられる状態で10日に見つかった。
男性は昨年末から一時生活保護を受けていたが、4月に「受給廃止」となっていた。
市によると、福祉事務所の勧めで男性が「働きます」と受給の辞退届を出した。
だが、男性が残していた日記には、そうした対応への不満がつづられ、
6月上旬の日付で「おにぎり食べたい」などと空腹や窮状を訴える言葉も
残されていたという。
市などによると、10日、男性宅の異変に気づいた住民らから
小倉北福祉事務所を通じて福岡県警小倉北署に通報があり、駆けつけた署員が
部屋の中で、一部ミイラ化した遺体を発見した。目立った外傷はなく、
事件の可能性は低いという。
男性は肝臓を害し、治療のために病院に通っていた。
市によると、昨年12月7日、福祉事務所に「病気で働けない」と生活保護を申請。
事務所からは「働けるが、手持ち金がなく、生活も窮迫している」と判断され、
同月26日から生活保護を受けることになった。
だが、今春、事務所が病気の調査をしたうえで男性と面談し、
「そろそろ働いてはどうか」などと勧めた。
これに対し男性は「では、働きます」と応じ、生活保護の辞退届を提出。
この結果、受給は4月10日付で打ち切られた。
この対応について男性は日記に「働けないのに働けと言われた」などと
記していたという。
その後も男性は働いていない様子だった。1カ月ほど前に男性に会った
周辺の住民によると、男性はやせ細って、「肝硬変になり、内臓にも
潰瘍(かいよう)が見つかってつらい」と話していたという。
小倉北区役所の常藤秀輝・保護1課長は「辞退届は本人が自発的に出したもの。
男性は生活保護制度を活用して再出発したモデルケースで、
対応に問題はなかったが、亡くなったことは非常に残念」と話している。
同市では05年1月、八幡東区で、介護保険の要介護認定を受けていた
独り暮らしの男性(当時68)が生活保護を認められずに孤独死していた。
06年5月には門司区で身体障害者の男性(当時56)が
ミイラ化した遺体で見つかった。この男性は2回にわたって生活保護を求めたが、
申請書すらもらえなかった。
2019年8月2日金曜日
小さな命を守って凍死
北海道を襲った暴風雪。車を捨てて歩き始めた父は、猛烈な地吹雪の中、たった一人の娘を守ろうと、10時間にわたって覆いかぶさるように抱きしめながら体温を奪われ命を落とした。
「大丈夫か」。3日午前7時すぎ、湧別町東の牧場用倉庫前で、雪の中に黒色の上着の一部を見つけた道警遠軽署員が大声を出した。
雪を払いのけると、同町の漁師、岡田幹男さん(53)が小学3年の長女夏音(なつね)さん(9)を両手で抱きかかえながら、うつぶせに倒れているのが見つかり、その胸の下にスキーウエア姿の夏音さんが泣きながら震えていた。
岡田さんは風が吹いていた北側に背を向けていたといい、夏音さんは低体温症ながら命に別条はなかったが、岡田さんは搬送先の病院で凍死が確認された。
同署によると、岡田さんは2日午後に夏音さんと一緒に知人宅に向かったが、同4時ごろ、携帯電話で「車が雪にはまり動けない。車を捨てて歩いて行く」と連絡があった。その後、
連絡が取れなくなった。車は同9時半ごろ、自宅から約1.5キロ西の道路脇の雪山に突っ込んだ状態で発見され、そこから約300メートル先の倉庫の前で2人は見つかった。
倉庫の50メートル先には民家があったが、吹雪で気づかなかったとみられる。
知人らによると、岡田さんは2年前に妻を亡くし、夏音さんと2人暮らし。近所の男性(51)は「一人娘をとにかく可愛がっていた。守りたい一心だったのでは」と話す。
別の知人によると、夏音さんは病院で「お父さんはどうなったんですか」としきりに気にする様子だったという。
「大丈夫か」。3日午前7時すぎ、湧別町東の牧場用倉庫前で、雪の中に黒色の上着の一部を見つけた道警遠軽署員が大声を出した。
雪を払いのけると、同町の漁師、岡田幹男さん(53)が小学3年の長女夏音(なつね)さん(9)を両手で抱きかかえながら、うつぶせに倒れているのが見つかり、その胸の下にスキーウエア姿の夏音さんが泣きながら震えていた。
岡田さんは風が吹いていた北側に背を向けていたといい、夏音さんは低体温症ながら命に別条はなかったが、岡田さんは搬送先の病院で凍死が確認された。
同署によると、岡田さんは2日午後に夏音さんと一緒に知人宅に向かったが、同4時ごろ、携帯電話で「車が雪にはまり動けない。車を捨てて歩いて行く」と連絡があった。その後、
連絡が取れなくなった。車は同9時半ごろ、自宅から約1.5キロ西の道路脇の雪山に突っ込んだ状態で発見され、そこから約300メートル先の倉庫の前で2人は見つかった。
倉庫の50メートル先には民家があったが、吹雪で気づかなかったとみられる。
知人らによると、岡田さんは2年前に妻を亡くし、夏音さんと2人暮らし。近所の男性(51)は「一人娘をとにかく可愛がっていた。守りたい一心だったのでは」と話す。
別の知人によると、夏音さんは病院で「お父さんはどうなったんですか」としきりに気にする様子だったという。
2019年6月1日土曜日
気高い親猫
こんばんは、こうちゃんです。
涙なしにはいられない親猫の愛情です。
---
Rの実家は猫好きな一家で、野良猫に餌をあげているうちに家中猫だらけになってしまったそうだ。
(高校の頃遊びに行ったが、ほんとにそうだった。)
住み着いた猫が仔をつくり、その仔もまた仔をつくる。一時は家庭崩壊しかけたほど猫が増えたそうだ。
そのうちの一匹の猫の話。
その猫も他の猫同様、野良時代に餌をもらい、それが何度か続くうちにRの家に住み着いた。
そして、その猫も仔を宿し、五匹の子猫を生んだ。しかし母猫は病気だった。出産後、餌は食べても吐いてしまうか、もしくはひどい下痢だった。
だが、子供はまだ小さい。母猫はじっと耐えるように五匹の子猫達を守っていた。
あまりにひどそうなので、見かねたRの母親が病院に連れていこうと近寄るが、
母猫は子供を取られると思っているのか、決して触らせようとしない。怒り狂って引っ掻いてくるのだ。
次の日、母猫はついに動けなくなっていた。出産の疲労と病気による衰弱のためであろう。
母猫の周りは、自らの汚物でいっぱいだった。
しかし、母猫はいとおしそうに五匹の仔をまんべんなくなめていた。
こいつは今日死ぬな。。衰弱しきった母猫をみてRはそう思ったそうだ。
そしてその夜、Rの母親が2階の自室で寝ていると、もぞもぞと布団の中で何かが動く。
それは子猫だった。
あれ?と思い電気をつけてみると、他の四匹の子猫たちも自分の布団のまわりにいる。
子猫たちは寒いのか、か細い声で鳴きながら布団に入ろうとしている。
そして、少し離れたところに、あの病気の母猫が静かに横たわっていた。
もう息はしていなかった。
決して子供達に近寄らせようとしなかった母猫は、最後の力を振り絞って一匹一匹わが仔をここまで運んできたのだろう。
死ぬ姿を人に見せないと言われるプライドの高い猫が、寝室の真ん中で死ぬことを選んだのだ。
子供達を託すために。
涙なしにはいられない親猫の愛情です。
---
Rの実家は猫好きな一家で、野良猫に餌をあげているうちに家中猫だらけになってしまったそうだ。
(高校の頃遊びに行ったが、ほんとにそうだった。)
住み着いた猫が仔をつくり、その仔もまた仔をつくる。一時は家庭崩壊しかけたほど猫が増えたそうだ。
そのうちの一匹の猫の話。
その猫も他の猫同様、野良時代に餌をもらい、それが何度か続くうちにRの家に住み着いた。
そして、その猫も仔を宿し、五匹の子猫を生んだ。しかし母猫は病気だった。出産後、餌は食べても吐いてしまうか、もしくはひどい下痢だった。
だが、子供はまだ小さい。母猫はじっと耐えるように五匹の子猫達を守っていた。
あまりにひどそうなので、見かねたRの母親が病院に連れていこうと近寄るが、
母猫は子供を取られると思っているのか、決して触らせようとしない。怒り狂って引っ掻いてくるのだ。
次の日、母猫はついに動けなくなっていた。出産の疲労と病気による衰弱のためであろう。
母猫の周りは、自らの汚物でいっぱいだった。
しかし、母猫はいとおしそうに五匹の仔をまんべんなくなめていた。
こいつは今日死ぬな。。衰弱しきった母猫をみてRはそう思ったそうだ。
そしてその夜、Rの母親が2階の自室で寝ていると、もぞもぞと布団の中で何かが動く。
それは子猫だった。
あれ?と思い電気をつけてみると、他の四匹の子猫たちも自分の布団のまわりにいる。
子猫たちは寒いのか、か細い声で鳴きながら布団に入ろうとしている。
そして、少し離れたところに、あの病気の母猫が静かに横たわっていた。
もう息はしていなかった。
決して子供達に近寄らせようとしなかった母猫は、最後の力を振り絞って一匹一匹わが仔をここまで運んできたのだろう。
死ぬ姿を人に見せないと言われるプライドの高い猫が、寝室の真ん中で死ぬことを選んだのだ。
子供達を託すために。
2019年5月4日土曜日
ずっと一緒に育った猫
俺18歳なんだが今年で18年目になる飼い猫がいる つまり俺と同い年なわけだ
どんなに記憶を遡ってもそいつがいる
本当に兄弟のように一緒に育った
布団の中に入ってくるし、寝るときに部屋に連れて行かないと廊下で入れろと鳴く
餌は好き嫌いが多いし、甘えてきても腹がいっぱいになれば呼んでもうるさそうに振り向くだけ
でもそんなとこも妙に可愛い
でもそいつもこの数ヶ月で急に衰え始めた
餌が食えない 階段が登れない 一度横になるとなかなか立ち上がれない
病院に連れて行ったら老衰だった
覚悟をしていて下さいと言われた
胸が苦しい 言葉がでない
半年前なら外に連れ出せばすぐに走ってどこかに行こうとしたのに今は腕の中で丸くなってるだけ
こんなに軽かったっけ?こんなに細かったっけ?
事故で死んだりするのとは違ってゆっくりと確実に終わりに近づいていく
こんなに悲しいなら飼わなければよかった
だけどこいつがいなきゃ嫌だ
死んでほしくない
あと20年ぐらい生きてほしい
神様お願いだよ
家族を連れて行かないで…
どんなに記憶を遡ってもそいつがいる
本当に兄弟のように一緒に育った
布団の中に入ってくるし、寝るときに部屋に連れて行かないと廊下で入れろと鳴く
餌は好き嫌いが多いし、甘えてきても腹がいっぱいになれば呼んでもうるさそうに振り向くだけ
でもそんなとこも妙に可愛い
でもそいつもこの数ヶ月で急に衰え始めた
餌が食えない 階段が登れない 一度横になるとなかなか立ち上がれない
病院に連れて行ったら老衰だった
覚悟をしていて下さいと言われた
胸が苦しい 言葉がでない
半年前なら外に連れ出せばすぐに走ってどこかに行こうとしたのに今は腕の中で丸くなってるだけ
こんなに軽かったっけ?こんなに細かったっけ?
事故で死んだりするのとは違ってゆっくりと確実に終わりに近づいていく
こんなに悲しいなら飼わなければよかった
だけどこいつがいなきゃ嫌だ
死んでほしくない
あと20年ぐらい生きてほしい
神様お願いだよ
家族を連れて行かないで…
2019年4月15日月曜日
捨てられたコレクション
こんばんは、こうちゃんです。
旦那のことを考えると悲し過ぎますし、そもそもが胸糞悪くなる系でもあるコピペです。
---
コレクションについての話がありましたけど、私は夫のコレクションを捨ててしまって後悔した立場でした。
鉄道模型でしたけど。かなり古い模型がまさに大量(線路も敷いてて一部屋使っていた)という感じでした。
結婚2年目ぐらいから「こんなにあるんだから売り払ってよ」と夫に言い続けたのですが、毎回全然行動してくれずに言葉を濁す夫にキレてしまい、留守中に業者を呼んで引き取ってもらえるものは引き取ってもらいました。
帰ってきた夫は「売り払ったお金は好きにしていい」「今まで迷惑かけててごめん」と謝ってくれました。
残っていた模型も全部処分してくれたのですごく嬉しかったです。
でもその後夫は蔵書をはじめ自分のもの全てを捨て始めてしまいました。
会社で着るスーツとワイシャツや下着以外は服すらまともに持たなくなり、今では夫のものは全部含めても衣装ケース二つに納まるだけになってしまって…
あまりにも行きすぎていて心配になり色々なものを買っていいと言うのですが、夫は服などの消耗品以外絶対に買わなくなってしまい、かえって私が苦しくなってしまいました。
これだけ夫のものがないと夫がふらっといなくなってしまいそうですごく恐いのです。
こういう場合ってどうしたらいいんでしょう。
旦那のことを考えると悲し過ぎますし、そもそもが胸糞悪くなる系でもあるコピペです。
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コレクションについての話がありましたけど、私は夫のコレクションを捨ててしまって後悔した立場でした。
鉄道模型でしたけど。かなり古い模型がまさに大量(線路も敷いてて一部屋使っていた)という感じでした。
結婚2年目ぐらいから「こんなにあるんだから売り払ってよ」と夫に言い続けたのですが、毎回全然行動してくれずに言葉を濁す夫にキレてしまい、留守中に業者を呼んで引き取ってもらえるものは引き取ってもらいました。
帰ってきた夫は「売り払ったお金は好きにしていい」「今まで迷惑かけててごめん」と謝ってくれました。
残っていた模型も全部処分してくれたのですごく嬉しかったです。
でもその後夫は蔵書をはじめ自分のもの全てを捨て始めてしまいました。
会社で着るスーツとワイシャツや下着以外は服すらまともに持たなくなり、今では夫のものは全部含めても衣装ケース二つに納まるだけになってしまって…
あまりにも行きすぎていて心配になり色々なものを買っていいと言うのですが、夫は服などの消耗品以外絶対に買わなくなってしまい、かえって私が苦しくなってしまいました。
これだけ夫のものがないと夫がふらっといなくなってしまいそうですごく恐いのです。
こういう場合ってどうしたらいいんでしょう。
2019年4月9日火曜日
京都・伏見認知症母殺害心中未遂事件のあまりに悲しい結末
こんばんは、こうちゃんです。
こちら、介護を苦に母を殺害してしまい、自身も死のうとした方の、今も語り継がれる泣ける裁判での様子です。
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こちら、介護を苦に母を殺害してしまい、自身も死のうとした方の、今も語り継がれる泣ける裁判での様子です。
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もう一度母の子に生まれたい
認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
06年1月31日に心中を決意した。
「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
06年1月31日に心中を決意した。
「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
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しかし、あまりにも悲し過ぎるその後が。
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2006年2月1日、京都市伏見区の桂川の遊歩道で、区内の無職の長男(事件当時54歳)が、認知症の母親(86歳)の首を絞めて殺害、自身も死のうとしたが未遂に終わった「京都・伏見認知症母殺害心中未遂事件」をご存じだろうか。
~~
それから約10年後の2015年。毎日新聞大阪社会部の記者が、介護殺人に関するシリーズ記事の一環としてこの長男への取材を試みた。しかし弁護にあたった弁護士も行方を知らず、数少ない親族を探し出して訪ねると、彼はすでに亡き人になっていた。
事件の後の足跡について親族は口が重く、なぜ亡くなったのかも不明のまま。行き詰った末に探し当てた長男の知人という人に彼の死を告げると、絶句して、判決後に長男が落ち着いた先の住所を告げた。
やがて判明した死因は自殺だった。
琵琶湖大橋から身を投げたという。所持金は数百円。「一緒に焼いて欲しい」というメモを添えた母親と自分のへその緒が、身につけていた小さなポーチから見つかった。
2006年2月1日、京都市伏見区の桂川の遊歩道で、区内の無職の長男(事件当時54歳)が、認知症の母親(86歳)の首を絞めて殺害、自身も死のうとしたが未遂に終わった「京都・伏見認知症母殺害心中未遂事件」をご存じだろうか。
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それから約10年後の2015年。毎日新聞大阪社会部の記者が、介護殺人に関するシリーズ記事の一環としてこの長男への取材を試みた。しかし弁護にあたった弁護士も行方を知らず、数少ない親族を探し出して訪ねると、彼はすでに亡き人になっていた。
事件の後の足跡について親族は口が重く、なぜ亡くなったのかも不明のまま。行き詰った末に探し当てた長男の知人という人に彼の死を告げると、絶句して、判決後に長男が落ち着いた先の住所を告げた。
やがて判明した死因は自殺だった。
琵琶湖大橋から身を投げたという。所持金は数百円。「一緒に焼いて欲しい」というメモを添えた母親と自分のへその緒が、身につけていた小さなポーチから見つかった。
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これが誰かが悪かったというならばまだわかる。
しかし、この母の認知症も、誰もがなる可能性があり、その介護苦で長男が仕事もできずお金も立ちいかない、こんなことも誰にでも起こりえること、なのに、この国には何も救いはないのですね。
汚い生活保護の不正受給は許しても、この人たちには生活保護もされず、誰も悪くないのに死んでいく庶民を横目に贅沢三昧で、庶民の血を吸って楽しく生きていく、ゴミのような政治家や富豪たち。
この世は地獄ですね。
2019年3月6日水曜日
ワクワクから地獄に
そんなことより聞いてくれよ
この前初めての合コンで王様ゲームやったんだよ
そしたら一番可愛い女の子が王様になってさ
「もしかしたら俺とチューなんてことも・・・・」なんてワクワクしてたら
「おまえ帰れ」って命令された
---
悲し過ぎるエピソード
この前初めての合コンで王様ゲームやったんだよ
そしたら一番可愛い女の子が王様になってさ
「もしかしたら俺とチューなんてことも・・・・」なんてワクワクしてたら
「おまえ帰れ」って命令された
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悲し過ぎるエピソード
2019年2月24日日曜日
悲しいバイバイ
こんばんは、こうちゃんです。
ちょっと切ないさよならが・・・
---
妹が今年の夏に亡くなったんだけどすごいハイテンションな子だった。
ある時から急に別れ際「アデュー」しか言わなくなったの。
妹らしい可愛いおふざけだなーって思ってたら
その後1ヶ月もしないうちに病院で静かに息を引き取ったのさ。
そして昨夜ネットでなんとなくアデューの意味調べた。
フランス語でバイバイの意味だろ。って思ってたら違ったんだよ
「次、いつ会えるか分からない時のあいさつ。
長い別れを告げるあいさつ。」
あぁ妹は覚悟してたんだな。ってその時はじめて知って泣いた
---
家族にこんなんされてたら、つらいですね。
そしてその言葉の意味にあとで気づいてしまうというのも。
燃えPaPa
ちょっと切ないさよならが・・・
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妹が今年の夏に亡くなったんだけどすごいハイテンションな子だった。
ある時から急に別れ際「アデュー」しか言わなくなったの。
妹らしい可愛いおふざけだなーって思ってたら
その後1ヶ月もしないうちに病院で静かに息を引き取ったのさ。
そして昨夜ネットでなんとなくアデューの意味調べた。
フランス語でバイバイの意味だろ。って思ってたら違ったんだよ
「次、いつ会えるか分からない時のあいさつ。
長い別れを告げるあいさつ。」
あぁ妹は覚悟してたんだな。ってその時はじめて知って泣いた
---
家族にこんなんされてたら、つらいですね。
そしてその言葉の意味にあとで気づいてしまうというのも。
燃えPaPa
2019年1月22日火曜日
認知症のばあちゃん
こんばんは、こうちゃんです。
これはジーンとくる家族コピペですね。
---
俺には今年で80になるばあちゃんが居るんだが
もう長い間認知症で自分の名前も分からないし
言ってる事も支離滅裂だったもんでばあちゃんが何を言ってるかなんて俺も家族も全然気にしてなかったんだが、
ある晩自分の部屋ですいませんすいませんって誰かに謝ってる声が聞こえて(もちろん一人で)
いつもより妙にはっきり喋ってるからそのまま聞いてたら
すいませんね、すいませんね、ちゃんと謝らせますから
○○(俺)はホントは優しい子なんですよ…
って言ってた
俺が昔、友達に石ぶつけて怪我させて
ばあちゃんが先生に謝ってる時の事をフラッシュバックしてるらしい
なんか立ち聞きしながら泣いてしまった
今日はデイサービスで居ないが
帰ってきたら優しくしようと思う
俺の事は新聞屋(か郵便屋?w)と思ってるらしいが
そんなの関係ないぜw俺のばあちゃんに違いはないからな
---
認知症でも一部の思い出は残るんですね。
こうちゃん
これはジーンとくる家族コピペですね。
---
俺には今年で80になるばあちゃんが居るんだが
もう長い間認知症で自分の名前も分からないし
言ってる事も支離滅裂だったもんでばあちゃんが何を言ってるかなんて俺も家族も全然気にしてなかったんだが、
ある晩自分の部屋ですいませんすいませんって誰かに謝ってる声が聞こえて(もちろん一人で)
いつもより妙にはっきり喋ってるからそのまま聞いてたら
すいませんね、すいませんね、ちゃんと謝らせますから
○○(俺)はホントは優しい子なんですよ…
って言ってた
俺が昔、友達に石ぶつけて怪我させて
ばあちゃんが先生に謝ってる時の事をフラッシュバックしてるらしい
なんか立ち聞きしながら泣いてしまった
今日はデイサービスで居ないが
帰ってきたら優しくしようと思う
俺の事は新聞屋(か郵便屋?w)と思ってるらしいが
そんなの関係ないぜw俺のばあちゃんに違いはないからな
---
認知症でも一部の思い出は残るんですね。
こうちゃん
2019年1月17日木曜日
好きな女の子が出来た
とある日の春、僕に好きな女の子が出来た。
その子は私の家に来てと言ってきた。
だけど緊張して行けなかった。
だがその女の子は毎週言ってきた。
4週間目に僕は女の子の家に行こうと決断した。
でも行き方が分からない
女の子はすぐそばにいる、場所も分かってる。
でも行けない・・・何でだろう
ある日突・・・然彼女を見なくなった。
探したが見つからない。
また来るだろうと僕は待ち続けた。
そして2年後の冬また彼女が戻って来た。とても嬉しくて涙が出てきた。
また私の家に来てと言ってきた。僕は「貴方の家はどこですか?」と聞いた。
でも答えてくれない。そんな日々が続いてまた彼女が消えた。悲しかった。
ある日僕は気が付いた・・・
彼女は画面の中に居たんだ。
終わり
その子は私の家に来てと言ってきた。
だけど緊張して行けなかった。
だがその女の子は毎週言ってきた。
4週間目に僕は女の子の家に行こうと決断した。
でも行き方が分からない
女の子はすぐそばにいる、場所も分かってる。
でも行けない・・・何でだろう
ある日突・・・然彼女を見なくなった。
探したが見つからない。
また来るだろうと僕は待ち続けた。
そして2年後の冬また彼女が戻って来た。とても嬉しくて涙が出てきた。
また私の家に来てと言ってきた。僕は「貴方の家はどこですか?」と聞いた。
でも答えてくれない。そんな日々が続いてまた彼女が消えた。悲しかった。
ある日僕は気が付いた・・・
彼女は画面の中に居たんだ。
終わり
2019年1月14日月曜日
悲しくなる女性の年齢感
女の一生は球技のボールに譬えることができる
18歳、女はサッカーボール
22人の男が彼女を追いかける
28歳、女はホッケーのパック
8人の男が彼女を追いかける
38歳、女はピンポンの球
2人の男が彼女を押し付け合う
48歳、女はゴルフ ボール
1人の男が彼女の後をトボトボついて歩く
58歳、女はドッヂボール
みんなが彼女を避けようとする
90歳、女はボーリング
みんなは静かにその姿を見送り、残した数字の大小に一喜一憂する
-------
こんなん言うたらあかん
年齢で人間を差別したらいけないー
と言いたいところではある・・・
18歳、女はサッカーボール
22人の男が彼女を追いかける
28歳、女はホッケーのパック
8人の男が彼女を追いかける
38歳、女はピンポンの球
2人の男が彼女を押し付け合う
48歳、女はゴルフ ボール
1人の男が彼女の後をトボトボついて歩く
58歳、女はドッヂボール
みんなが彼女を避けようとする
90歳、女はボーリング
みんなは静かにその姿を見送り、残した数字の大小に一喜一憂する
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こんなん言うたらあかん
年齢で人間を差別したらいけないー
と言いたいところではある・・・
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