2021年8月19日木曜日

錆びたハンドクリーム缶

俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。。。
すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。
俺が小6のときにクラスの給食費が無くなった時なんて、
「ファミコン持ってない奴が怪しい」なんて、真っ先に疑われたっけ。
貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!って悪態ついたときの
母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ、、。
どーしても欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。
これでようやく遊べると思ったんだけど、ニチイのゲーム売り場の前まで来て買うのやめた。
そのかわりに小3の妹にアシックスのジャージを買ってやった。
いままで俺のお下がりを折って着ていたから。
母にはハンドクリーム買ってやった。
いっつも手が荒れてたから。
去年俺は結婚したんだけど、
結婚式前日に母に大事そうに錆びた ハンドクリームの缶を見せられた。

ホームで

30 :名無しさん@ピンキー:2005/10/25(火) 09:06:49 ID:8y5ITwKq
10年ちょい前かな。学生の頃、ふとしたことで出会ったコに惚れて。
しばらく付き合ったけど、学生の2人には1本の県境ですら遠くて。
ある夏の日、兄に借りた車走らせて会いに行って少しドライブして、
ゆっくり話そうと車を停めた海で、「もう会わないほうがいいと思う・・・」と言われた。

近くの駅で降ろして、と、言われるまま駅で降ろして「じゃあ・・・」
彼女が改札を抜けたのを見てから俺はアクセルを踏んだ。

31 :30:2005/10/25(火) 09:14:35 ID:8y5ITwKq
ふと、「(やっぱこのまま帰れないよ俺・・・)」って思いが浮かんで、
その途端タイヤ鳴らしてUターン、信号も守らないでもう一度駅に戻り、
車を停め駅まで走った。
恋愛に対して、あんなに形振り構わぬ行動した瞬間はなかったな。
入場券を買って、通路を走って、階段駆け上がって、ホームに着いたら
ちょうど電車のドアが閉まったところだった。

俺は走ったよ。走って電車を追っかけた。もう、涙なんか浮かべちゃってさ。
どこかで、俺一体何やってんだろって思いながらも必死で追った。
でも、これでもう会えないんだって思うと切なくてさ。
32 :30:2005/10/25(火) 09:34:24 ID:8y5ITwKq
小さくなっていく電車が、涙でよく見えなかった。

そんなとき、遠く・・・いや、近くかな。
聞き慣れた声が俺を呼ぶのに気付いて。
その声がした方を振り向くと、追いかけたはずのその人が笑ってた。
「何やってんのー?私こっちの電車だよー」
今まで張り詰めてた気持ちが全部一度に解けた感じがして、
笑いながら泣きながら、ごちゃごちゃの感情で反対のホームまで走った。
彼女も走ってきてくれた。笑ってたけど、ちょっと泣いてた。

33 :30:2005/10/25(火) 09:49:36 ID:8y5ITwKq
抱き合って、やっぱまだ離れられないよって、泣いた。
二人して泣きながら、でもホーム間違えてるのカッコ悪いよなんて笑って。
結果的にもう一度付き合うことになったが、
あの時、走ったホームを間違えてなかったら
シリアスすぎてこうはならなかったかもしれないなんて、いい笑い話になってた。

そしてそれから数ヵ月後の1月17日。
阪神地方を襲ったあの大きな地震で、彼女は帰らぬ人となった。



あれからもう10年過ぎて、俺も俺なりの人生見つけたけど、
あの須磨駅であの人を追いかけたこと、今でも忘れられない。

長々とスマンね。語りたかった。

ごみ袋から

私が8歳で、弟が5歳の頃の話です。

当時、母が病気で入院してしまい、父は単身赴任中であることから、
私達は祖母(父方)の家に預けられておりました。
母や私達を嫌っていた祖母は、朝から夜遅くまで舞踊のお稽古に行き、
私達の世話は一切しませんでした。

そこで、私達はいつも近所に住むAさんという人のいいかたの家でご飯をいただいておりました。
ある日、母が一日だけの許可をもらって退院してきました。
本当は体がとてもきつかっただろうに、母は甘えつく私達を何回も抱っこしてくれました。
夜は、三人で歌いながらハンバーグをこねて作りました。

「今日はお母さんが帰ってきたから、ご飯はお家で食べます!」
Aさんの家に挨拶に行った時の弟の、何か誇らしげな表情を見て嬉しくなった私は、
その紅潮した頬っぺたに何度も自分の頬っぺたを擦りつけて家に帰りました。

家に着くと、既に料理が食卓に並べられていた。母は暖かい牛乳を差し出して、
「おばあちゃんが帰ってきたから、ちょっと待っていてね。みんなで食べようね。」
と言った。私達がAさんの家に行っている間に帰ってきたようだ。しばらくすると、
着物から着替えてきた祖母が台所に入ってきた。

「お義母さん、お食事の用意できていますので、どうぞお掛けになってください。」
その母の言葉を遮るように祖母は、
「病人の作ったものが食べられますか!何が感染するかわからないのに…」と言って、
母の作った料理を全て残飯の入ったごみ袋の中に捨てていきました。
「も、申し訳ありません…」
さっきまでニコニコしていた母の顔から一気に血の気が引いていきました。
私は(どうしよう!どうしよう!)とただただ混乱していました。

「バカヤロウ!」
突然、弟が叫んで、祖母からごみ袋をひったくりました。
仁王立ちになった弟は、祖母をにらみつけながら、
ごみ袋から母の作ったご飯を手ですくって食べ始めました。
「俺はなぁ… 俺はなぁ…」
後の言葉が出てこずに、目から涙をボロボロとこぼしながら、弟は食べました。
小さな肩を震わせて、必死に強がって…
そんな弟を見て、私も大泣きしながらごみ袋からハンバーグを掴み取って食べました。
「もう、いいのよ。やめて。二人とも。いいのよ。お願いだから…」
泣きながら止める母の声も無視して、私達はむさぼり続けました。
これが私達姉弟の、母の最後の味。悲しさと悔しさの恨みの味…