2018年12月21日金曜日

きれいなフライパン

一人暮らしを始めるにあたって、意気込んでフライパンを買った
ブランドとかわからんが、とにかく28cmのやつを1本
それまで、料理なんて全くしなかったんだが一人暮らしだから自分で作るしかない
そう思って、買った
空焼きしたり、油を馴染ませたり、手入れを怠って真っ赤に錆びさせたり
それを金たわしでゴシゴシやって、また空焼きして油を馴染ませたり
とりあえず、目玉焼きは、上手になった

彼女ができた
すんげーかわいいし素直
だけど、料理はぜんぜんダメだったw
たまの休みの日には俺が、ちょっとだけ贅沢してステーキを焼いた
彼女はミディアム、俺はレアが好きだった
このフライパンは、お前と出会う前から俺と一緒に暮らしていると言ったら
彼女はふくれっ面になって、それから笑った

俺と彼女は幸せな時間を過ごした
料理が下手な彼女は、目玉焼きを何度も焦がした
俺は笑いながら、焦げた目玉焼きを美味しく頂いた
大事なフライパンなのに、ごめんなさいと、彼女は詫びた
大丈夫だよと金タワシでこすって空焼きしたら、
彼女はフライパンの深く碧い色を「きれいね」と言った

彼女は、突然、いなくなった
事故だった

俺は今も、時々、フライパンを金タワシでこすって空焼きする
深く碧い色が蘇る
彼女の「きれいね」という言葉が蘇る
28cmのフライパンは、俺と一緒にいる
焦げた目玉焼きはもう食べられないがフライパンのおかげで、
彼女の「きれいね」は今でも、いつでも聞けるんだ

2018年12月20日木曜日

就活

つい先日の出来事。
就活生のオレはいまだに内定が取れず色んな企業の選考に足を運んでいた。
んで無理だろうと思っていたそこそこ大きめな(地元では)企業から内定のメールがきた。
信じられなかった…元々敷居の高いところってのと
面接官の態度や質問が圧迫面接なんてレベルじゃ済まされない程クソで、
口論して部屋を出て行ったからだ。
大人げない事したなと後悔してたが、逆に評価されたのかと思い何とも言えない気分だった。
そしてメールで歓迎会でBBQやるから来いと連絡がきた。
同期の人間の顔も見たことないし凄く楽しみにして現地の河原に向かった。
かなりの人数が集まっていてオドオドしていると口論した面接官が
「お、○○君!こっちこっち。」と手招き。そこには同期らしき人間が並んでいた。
「初めてだし自己紹介は恥ずかしいだろうし俺から簡単に説明するね。」と
端から順に面接官が紹介していった。
最後に俺だった。
面接官「コイツが面接中にキレて出て行ったアホw個人的に教育したくて嘘の内定メールだしたら本当に来てしまったみたいですw ○○君よくわかったかぁ?あんま調子乗るとこうやって恥かくから気をつけろよw」
そいつは俺に交通費と称して5千円札を握らせると「釣りいらねーからw」と一言。
周りからは「カッコイイぞw」だの「やりすぎだろw」だの野次が行き交っていた。
俺は恥ずかしさと怒りでパニックになりながらその場から逃走。今は就活する気起きない。

2018年11月13日火曜日

母が描いた絵のアルバム

うちは貧乏な母子家庭で、俺が生まれた時はカメラなんて無かった
だから写真の変わりに母さんが色鉛筆で俺の絵を描いて、アルバムにしてた
絵は上手じゃない
ただ、どうにかして形に残したかったらしい
ほぼ毎日、赤ん坊の俺を一生懸命描いてた
絵の隣に『キゲンが悪いのかな??』とか『すやすや眠ってます?』ってコメント付きで
小学四年生の時、家に遊びに来た友達数人に、そのアルバムを発見された
めちゃくちゃ笑われて、貧乏を馬鹿にされた
友達が帰って直ぐ、俺はアルバム三冊をバラバラに破いてゴミ箱に捨てた
パートから帰って来た母さんがそれを見つけて、泣きだした
破いた理由を言っても、変わらず泣き続けた
翌朝起きると、居間で母さんがゴミ箱から絵の破片を集めてセロハンテープでとめてた
「恥ずかしい思いさせてごめんね。でもね、これ、母さんの宝物なんよ」
申し訳なさそうに優しくそう言われると、涙が溢れ、俺はごめんなさいと謝った

2018年11月7日水曜日

中3のクラス会

今月、中3のクラス会があったけど最悪だった。

隣のヘロヘロに酔った奴が俺に「結婚してるのか?」「彼女いるのか?」
と聞いてきて正直に「いない」って答えたら今度は「今まで何人と付き合った?」
と聞いてきて「一度もつきあったこともない」と答えたら「お前ひょっとして童貞か?」

「まあ・・・そうだね」と答えた瞬間、そいついきなり立ち上がり「重大発表!○○が
頭がハゲてるのに童貞であることが発覚しましたw」ここで一同がどっと笑い、さらに
「女性陣の中でこの哀れな若ハゲ童貞くんに愛の手をw」と言うと、さらに場内が大爆笑。

もういたたまれなくなって、会費がいくらかわからなかったから適当に1万円置いて、帰ろう
とすると、今度は「若ハゲ童貞君のご退場!みんな拍手拍手w」と拍手に送られて店を出た。

そしたら後ろから幹事の女の子が追っかけてきて
「今XXくんには私からキツく言っといたから一緒に戻ろうよ。それに会費は4千円だし、
会の終わりにみんなと一緒に払えばいいから」と返されたけど、もう会に再び戻る気分にはなれず
差額は2次会かなんかのたしに使ってもらえばと受け取らなかった。

まあ酒の席のことだし、29歳でハゲで童貞な自分が異常なんだろうけど、
でも結構傷つくんだよなあ・・・・・。

2018年10月19日金曜日

気高き野生動物の恩返し

車にはねられたのか知らんが、死にそうな黒ネコ見かけたから
せめてと思って家で手当てしてやった事がある。

2日くらいして起き上がってこれるようになったけど
触ろうとするとフーッって威嚇して唸る。
可愛げの無い野良だった。

次の日いなくなった。
どっかから出て行ったのか?

その次の日、そいつが庭先で死んでた。
口元には死んだカエルが転がってた。

お礼のつもりだったのか?
それとも借りは返すって事なのか?

怪我した体じゃ、カエル狩るのが精一杯だったんだろう。
無茶しやがって。
最後まで誇り高い奴だった。

さすがに泣いた…

2018年10月14日日曜日

認知症の母親を…手にかけた事件の初公判

京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、
認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。

母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
06年1月31日に心中を決意した。

「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。

冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。

裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。



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悲劇、これはなんも言えない
せめてこの国がもっと悪党に厳しくなって、
真に必要な人に救いがいくようになりますように

2018年9月19日水曜日

知り合いの知的障害の叔父

知り合いの話。

知り合いには知能障害の叔父さんがいて、
知り合いが物心付いた頃から既にちょっとおかしい人だったらしい

そんな人だから、結婚も出来ず、60を過ぎても一人暮らしをしてた
で、ある日耳から変な液が出てきたってんで兄弟が病院に連れてったんだと

そしたら頭蓋ん中イッパイに膿が溜まってて、それが脳を圧迫してた
医者は親族にこう尋ねた
「昔、頭の手術をしたことありませんか?」

そういえば、彼が3歳だった頃に風呂で母親が頭を洗っていて水が耳に入り、耳が腫れたことがある。
その時手術をしたと思うが、それがどうしたのか

「恐らくその時に付いた傷が原因ですねこの膿は・・・今まで知能障害と思われていたのも、脳についた傷と膿がもたらしたものでしょう。」

先天性のものだと思っていたものが実は医療ミス
しかも3歳の頃の傷で、約60年分の人生を台無しにされてしまった

親族にしたらものすごいショックだったと言う
しかも膿の摘出手術を終えないと助からなかったが、既に本人にその体力がない状態

数日して亡くなったという
洒落にならん話だった

2018年9月7日金曜日

55年越しのゴール

国内で世界記録を20分以上も塗り替えるような記録を出しながらも本大会では日射病で倒れ、行方不明扱いにされてしまった。
日本の期待を一心に背負いながら、それでも走りきれなかったことで、深い自責の念に駆られた。
それでも日本のマラソンの発展のために50年間尽くしてきた。

1967年、ストックホルムオリンピック委員会から「オリンピック55年祭」が開催されるので来てもらえないかという連絡が届いた。
式典後、当時のコースを懐かしげに辿る金栗。そして55年前にたどり着けなかったスタジアムに足を踏み入れた。
何故かそこには観衆と役員、そしてゴールテープ。思い出のスタジアムで念願のゴールテープを切った金栗。

『日本の金栗がただ今ゴール。
          タイムは55年…。
                 これで第5回ストックホルム大会の全日程は終了しました』

2018年8月27日月曜日

ノートに書いたすごろく

オレは小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。
当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。
いつしかオレはノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。

それをばあちゃんに見せては
「ここでモンスターが出るんだよ」
「ここに止まったら三回休み~」
ばあちゃんはニコニコしながら、「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。
やがてオレにも友達が出き、そんなこともせず友達と遊びまくってたころ
家の事情も解消され、自分の家に戻った。ばあちゃんは別れる時もニコニコしていて、
「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」と喜んでくれた。

先日、そのばあちゃんが死んだ。89歳の大往生だった。

遺品を整理していた母から、「あんたに」と一冊のノートをもらった。
開いてみると、そこにはばあちゃんが作ったすごろくが書かれてあった。
モンスターの絵らしき物が書かれていたり、何故かぬらりひょんとか
妖怪も混じっていたり。「ばあちゃん、よく作ったな」とちょっと苦笑していた。
最後のあがりのページを見た。「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に
「義弘(オレ)くんに友達がいっぱいできますように」
人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
ばあちゃん、死に目に会えなくてごめんよ。そしてありがとう。

2018年8月13日月曜日

訓練が始まる前に全員へ配られた子犬

おれがいた組織ではな、訓練が始まる前に全員に子犬が配られるんだ
その子犬と寝食を共にし、一緒に訓練課程を消化していく
1日分の食料と水、ペイント弾を装填したMP5を背負って森に放り込まれる
雨の中泥の中に埋もれて1週間の殺し合い演習、ペイント弾を食らえば即、脱落
犬といってもな、辛い地獄のような訓練を共にすれば絶対的な感情が芽生えてくるもんだどんなに辛い環境でも、小さな命が近くにいるというだけで安心できる
相棒のようなもんだったよ本当に

で、訓練最終日、与えられた最後の訓練課程はなんだったと思う?
それまでの地獄のような訓練を生き抜いてきた奴の大半がそこで脱落していった
訓練内容に納得できずに泣き出す者、嗚咽をこらえて動かない者
教官に殴りかかる奴までいたよ

だが俺は食った、無心でな

2018年7月27日金曜日

生活保護をもらいながら祖父母の面倒を見てた女子中学生

ずっと昔見た新聞のコラムに載っていた。

目の不自由な祖父、祖母と、
生活保護をもらいながら住んでいる女子中学生がいて、二人の面倒を全部見てたが、ある日生活保護のお金を引ったくりされた。
これが地方ニュースになって、カンパが集まった。

役所は、そのカンパが臨時収入だからと言って、生活保護を打ち切った。
カンパの何十万円かなんてすぐになくなって、その子は役所に相談に来たけれど、
役所は臨時収入があったから再開できないと伝えた。
何度か役所に姿を見せたのは確かだが、その度に追い返したようであった。
生活保護を再開してもらえなかったことは、祖父母に言えなかった。

心配をかけたくなかったのか、どんな心境かは今となってはわからない。
目の見えない祖父母にはちゃんとオカズを作って食べさせながら、
その子はずっと、自分は塩とご飯だけ食べていたらしい。
ある時、祖父母がそれに気が付いて、
どうして自分だけそんな食事をしてるのか問いただした。

その子は笑ってごまかした、その夜、首を吊った。

2018年7月10日火曜日

母親のハンバーグの味

俺の母さんは、生まれつき両腕が不自由だった。なので料理は基本的に父が作っていた。
ただ、遠足などで弁当がいる時は、母さんが頑張って作ってくれていた。
でも、小学校6年の時の遠足で、見た目が悪い母さんの弁当を見られるのが嫌で、とうとう
「弁当はコンビニで買っていくから、この弁当はいらない!!」と言ってしまった。
母さんはそんな馬鹿な俺に、ただ、うまく作れなくてごめんねとしか言わなかった。
時は過ぎ、小・中は給食だったのだが、
高校になってからは給食はないのでいつも昼は購買のパンですませていた。
しかし、高校2年になったある日、母さんが弁当を作ると言い出した。
それは遠足の時に作ってくれたものとは、見た目も味も段違いに良くなっていた。
不自由な手で、一生懸命作ってくれたのだ。
と、思ったのもつかの間。 肺炎で入院したかと思うとぽっくり逝ってしまった。
弁当を作り始めてから3ヶ月しか経たない内に。
母さんが死んだ後、親父から聞いたのだが、どうやら母さんは俺の為に、
定食屋をやっている知り合いの所に一年間料理を習いに行っていたらしい。
そして後日、その定食屋に行って見た。
定食屋の人と俺は直接、関わりは無いけれど、優しそうな人だった。
そして母がよく弁当に入れていたメニュー、ハンバーグ。それの定食を頼んだ。
そして、それを口にしたとたん、ぼろぼろと涙がこぼれてきた。
たった3ヶ月しか食べられなかったけど、たしかに母さんのハンバーグの味にそっくりなのだ。
腕がまともに動かせないのに、頑張って作ってくれた、あのハンバーグの味。
形は少し不細工だったけど、とても美味しかった、あの、ハンバーグの味。

2018年6月22日金曜日

親父の作った星の形のにんじん

俺の母親は、俺が2歳の時にがんで死んだそうだ。
まだ物心つく前のことだから、当時はあまり寂しいなんていう感情もあまりわかなかった。
この手の話でよくあるような、「母親がいない事を理由にいじめられる」なんて事も全然なくて、
良い友達に恵まれて、それなりに充実した少年時代だったと思う。
こんな風に片親なのに人並み以上に楽しく毎日を送れていたのは、
やはり他ならぬ父の頑張りがあったからだと今も思う。

あれは俺が小学校に入学してすぐにあった、父母同伴の遠足から帰ってきたときのこと。
父は仕事で忙しいことがわかっていたので、一緒に来られないことを憎んだりはしなかった。
一人お弁当を食べる俺を、友達のY君とそのお母さんが一緒に食べようって誘ってくれて、寂しくもなかった。
でもなんとなく、Y君のお弁当に入っていた星形のにんじんがなぜだかとっても羨ましくなって、
その日仕事から帰ったばかりの父に「僕のお弁当のにんじんも星の形がいい」ってお願いしたんだ。

当時の俺はガキなりにも母親がいないという家庭環境に気を使ったりしてて、
「何でうちにはお母さんがいないの」なんてことも父には一度だって聞いたことがなかった。
星の形のにんじんだって、ただ単純にかっこいいからって、羨ましかっただけだったんだ。
でも父にはそれが、母親がいない俺が一生懸命文句を言っているみたいに見えて、とても悲しかったらしい。
突然俺をかき抱いて「ごめんな、ごめんな」って言ってわんわん泣いたんだ。
いつも厳しくって、何かいたずらをしようものなら遠慮なくゲンコツを落としてきた父の泣き顔を見たのはそれがはじめて。
同時に何で親父が泣いてるかわかっちゃって、俺も悲しくなって台所で男二人抱き合ってわんわん泣いたっけ。

それからというもの、俺の弁当に入ってるにんじんは、ずっと星の形をしてた。
高校になってもそれは続いて、いい加減恥ずかしくなってきて「もういいよ」なんて俺が言っても、
「お前だってそれを見るたび恥ずかしい過去を思い出せるだろ」って冗談めかして笑ったっけ。

そんな父も、今年結婚をした。相手は俺が羨ましくなるくらい気立てのいい女性だ。
結婚式のスピーチの時、俺が「星の形のにんじん」の話をしたとき、親父は人前だってのに、またわんわん泣いた。
でもそんな親父よりも、再婚相手の女の人のほうがもらい泣きしてもっとわんわん泣いてたっけ。
良い相手を見つけられて、ほんとうに良かったね。
心からおめでとう。そしてありがとう、お父さん。

2018年6月5日火曜日

今日珍しく俺は母ちゃんを外食に誘った

今日珍しく俺は母ちゃんを外食に誘った。
行き先は昔からよく行く馴染みのラーメン屋だった。
俺は味噌大盛り、母ちゃんは味噌並み盛りを頼んだ。
「昔からここ美味しいのよね」って、柄にもなく顔にシワよせて笑ってたんだ。

ラーメンが出来上がると、俺も母ちゃんも夢中で麺をすすってた。
あんまりにも母ちゃんがニコニコしながら食べてるもんだから、
俺もつられて笑っちまったよ。

しばらく経って、ラーメンを食い終わった俺はふと母ちゃんの方を見たんだ。
ラーメンの器に浮かぶチャーシューが一枚、二枚、三枚・・。そのチャーシューを捲ると麺がまだ沢山余ってた。
母ちゃんは俺の方を申し訳なさそうに見て、「ごめんね、母ちゃんもう年だから。ごめんね」と繰り返してた。
「んなもんしゃーねーべ」と言うと、俺は母ちゃんの残したラーメンをすすった。
そういやガキの頃、よく無理して大盛り頼んで、結局食べきれなくて母ちゃんに食ってもらってたっけ。
いつの間にか立場も逆転。あんなに若かった母ちゃんの顔も今じゃシワだらけで、背丈も頭一個分違う。
そのシワの数程今まで散々迷惑掛けたんだろうなって思うと、悔しさと不甲斐なさで涙が出てくる。
母ちゃん、こんな俺を今まで育ててくれてありがとう。


俺、立派な社会人になるわ。

2018年5月18日金曜日

明日のドライブの為におはぎをこしらえた

会社が棚卸しで振り替え休日があったので
会社の若い連中、男女3:3で海にドライブに行った
私は途中で腹が減ると思ったので
人数分×3個のおはぎを、前の晩からこしらえた。
「気のきく人」と思われて好感度アップ間違い無しと確信して
寝不足ながらウキウキ気分で出発。
ひそかに思いを寄せるN男さんもお洒落な服で張り切っている。
10時ごろ、ブサイクな同僚♂(29才喪男)が
「ソフトクリームがたべたい」と言い出したので
私は「お、おはぎならありますけど・・」とやや控えめに
18個の色とりどりのおはぎ(あん・青海苔・きなこ)を紙袋からとり出した。
一瞬「しーん」となって、ブサイクな同僚♂が
「喪女さんが握ったの?うわwwおばあちゃんみたいwww」と言った。
他の女が「ちゃんと洗った手で作ったの?今の季節雑菌は危ないよ、ほら、ここやばくない?」と言った。
爆笑が起こった。18個のおはぎは誰の口にも入らなかった。
私はほぼ半泣き状態で、おはぎをしまった。
人づてに聞いた話だけど、N男さんも「ちょっとあれは食べらんないw」と
言っていたらしい。

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有名な話だけど、ちょっと切ない・・・。
その気持ちは買うけど、もう少し選択がよければと。


燃えPaPa

2018年5月5日土曜日

断れない大人しい子に恋をした

バイト先に彼氏いない歴25年らしい大人しい子がいた。
局の子にお昼おごらされたり、派遣社員の子から高額なマルチ商法の商品買わされたりしてた。
皆が「アイツはお人好しだから何言っても絶対断らない」と
学生のイジメのようにバカにして嫌な事押し付けたりしていた。

もともとその子を優しくて良い女だと好感を抱いていた上に
この子なら断らないかもと思った俺は彼女を休日に食事に誘ってみた。

生まれて初めて女性からOKをもらい、嬉しくて店を色々調べて下準備し、
当日は思いきりお洒落してピカピカに洗った車で迎えに行き、
頑張って話を盛り上げてご飯を御馳走し、家まで送り届けた。
とても楽しくて何度も誘った。彼女も楽しんでくれていると思った。

段々好きになって今度告白しようと決心して食事に誘った時、
「本当はずっと嫌だった。もう誘わないで欲しい」と言われた。
彼女の顔は気の毒になる位必死だった。きっと決死の思いで言ったのだろう。
「ほら~!麻衣、ちゃんと断れるじゃないですか!今度から嫌な事
頼まれたら、今みたいにビシッと言えよ!俺、ずっと麻衣が
何言っても断れないの、心配したよ!」
と、俺は泣き出しそうなのをこらえて出来るだけ明るく元気に取り繕った。
彼女はとてもホッとしたような顔をして何度も俺にお礼を言った。
俺から好かれている訳じゃない事がわかって、そんなに嬉しかったのかな。

昨日の話です。もう色恋は諦めますた。一生童貞でかまいません。

2018年4月27日金曜日

無職スロプーの男

知り合いの話なんだけど
そいつが無職スロプーで
母親と二人暮らしなんだけど母親が突発性の緑内障になり
今すぐ病院に行かないと失明する、ってくらいヤバいときに
金がないんで放置してたら 

そいつに別居してる兄貴がいて
「とにかくすぐに病院連れて行けよ!」って20万置いて行った
兄貴も忙しいんで金置いて仕事に戻ったらしいんだけど
そのバカは置いていった金に手をつけて「押忍 番長!」を打ち
結局20万全部負けた

母親には適当にドラッグストアで買った目薬を与えて
寝かせておいた母は地獄の苦しみの中で
「ああ、ありがとう、XXちゃんが目薬買ってきてくれたんで楽になったよ」
と言いながら食事もとらず ボロ布団のなかで徐々に失明していった
衰弱しきった母を兄が救急車で運んだときには
完全に失明し極度の栄養失調に陥ってたらしい

マジで実話です ほんとうに人間って怖いわ

2018年4月16日月曜日

弟の書いた物語

私の家族は父、母、私、弟の四人家族。

弟がまだ六歳の時の話。
弟と私は十二才離れてる。凄く可愛い弟。
だけど遊びさかりだったし家に居れば父と母の取っ組み合いに巻き込まれる。
だからほとんど家には帰らない日々だった。
弟は毎日恐く淋しかっただろう。
ある日家に帰ったら、お酒ばかり飲んで人の顔を見れば殴る父が座って一冊のノートを見ながら泣いていた。
私もノートを覗き込んだんだ。
そしたらね父が急に「ごめんな」って言うの。
よく見たら弟がまだ汚い字で物語を書いてた。
僕には楽しいパパ、優しいママ、いつも笑顔のお姉ちゃんがいる。
いつも皆でおいしいご飯を笑いながら食べる。
毎週日曜日は家族でお出かけをする。
僕は皆にいつもいい子されて幸せいっぱい。
毎日笑顔がいっぱい。
そんなような事が沢山書かれてた。
普通なら当たり前なのに私の家では出来ていなかった事が想像で沢山かかれてた。
紛れもなく弟の夢が描かれてた。
父と泣いて読んだ。
母がパートから帰ってきて母も読み泣いた。
その日の夜は揃って鍋をした。弟は初めての体験。
凄い笑ってた。
父も母も私も照れながら
笑った。
それから
少しづつ弟の物語は現実になった。
今では笑顔沢山の家族になりました。

弟の物語はあれ以来書かれなくなった。

2018年3月20日火曜日

母ちゃんの残したラーメン

今日珍しく俺は母ちゃんを外食に誘った。
行き先は昔からよく行く馴染みのラーメン屋だった。
俺は味噌大盛り、母ちゃんは味噌並み盛りを頼んだ。
「昔からここ美味しいのよね」って、柄にもなく顔にシワよせて笑ってたんだ。

ラーメンが出来上がると、俺も母ちゃんも夢中で麺をすすってた。
あんまりにも母ちゃんがニコニコしながら食べてるもんだから、
俺もつられて笑っちまったよ。

しばらく経って、ラーメンを食い終わった俺はふと母ちゃんの方を見たんだ。
ラーメンの器に浮かぶチャーシューが一枚、二枚、三枚・・。そのチャーシューを捲ると麺がまだ沢山余ってた。
母ちゃんは俺の方を申し訳なさそうに見て、「ごめんね、母ちゃんもう年だから。ごめんね」と繰り返してた。
「んなもんしゃーねーべ」と言うと、俺は母ちゃんの残したラーメンをすすった。
そういやガキの頃、よく無理して大盛り頼んで、結局食べきれなくて母ちゃんに食ってもらってたっけ。
いつの間にか立場も逆転。あんなに若かった母ちゃんの顔も今じゃシワだらけで、背丈も頭一個分違う。
そのシワの数程今まで散々迷惑掛けたんだろうなって思うと、悔しさと不甲斐なさで涙が出てくる。
母ちゃん、こんな俺を今まで育ててくれてありがとう。

俺、立派な社会人になるわ。

2018年3月12日月曜日

娘が六歳で死んだ

こんばんは、燃えPaPaです。

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娘が六歳で死んだ
ある日突然、風呂に入れている最中意識を失った。

直接の死因は心臓発作なのだが、持病のない子だったので
病院も不審に思ったらしく、俺は警察の事情聴取まで受けた。
葬式には別れた女房が「彼氏」同伴でやって来たが、
もはや俺にはその無神経に腹を立てる気力もなく、機械的にすませた。
初七日も済んで、俺は独りで映画を観にいき、娘が観たがっていた
ゴジラととっとこハム太郎の二本立てを観ることにした。
とっとこぉはしるよハム太郎♪の歌を聴いた瞬間、やっぱり俺は泣いた。
6歳にもなって活舌の悪い娘が、この歌を一生懸命覚えて、
とっとこぉ、はしゆよ、はむたよお♪と歌っていたっけ。
ハム太郎の紙コロジーだってクリスマスに買ってやるつもりだった。
女親のいない家庭だったが、少しでも女の子らしくと、
服を買うときだって、面倒がらずに吟味を重ねた。
学校だって、行きたいところに行かせてやるつもりだったし
成人式には、ちゃんと着物を着せてやるつもりだった。
女房と離婚してから俺は100%子供のために生きることにして、
必死にやってきたのに、この世に神様なんて絶対いないんだと知った。

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これは誰も救われないし、悪くないし、ただ悲しいですね。

燃えPaPa

2018年2月18日日曜日

アリの巣コロリ

アリの巣コロリってあるじゃん。
蟻の行列にポンと置くと、一瞬ビックリして列が乱れる。
邪魔だなと言わんばかりに迂回する列が出来る。
そのうち好奇心旺盛な一匹がアリの巣コロリに入る。
そいつをマネして何匹も入る。
毒とも知らずにツブツブを運び出す。一匹が一粒づつ。
いつのまにか行列はアリの巣コロリが折り返し地点になる。
黄色い粒と黒い蟻が作り出す模様は綺麗で見てて楽しい。
一匹が一粒づつ、丁寧にせっせと毒の粒を運ぶ。
せっせと、せっせと、せっせと、せっせと。
蟻さんって働き者だなと思う。俺も頑張らなきゃなと思う。
次の日、あれほど沢山いて俺を困らせた蟻が一匹もいない。
ほんとにいない。探してもいない。泣きたくなった。

2018年2月12日月曜日

バイト先の大人しい子

バイト先に彼氏いない歴25年らしい大人しい子がいた。
局の子にお昼おごらされたり、
派遣社員の子から高額なマルチ商法の商品買わされたりしてた。
皆が「アイツはお人好しだから何言っても絶対断らない」と
学生のイジメのようにバカにして嫌な事押し付けたりしていた。
もともとその子を優しくて良い女だと好感を抱いていた上に
この子なら断らないかもと思った俺は彼女を休日に食事に誘ってみた。
生まれて初めて女性からOKをもらい、嬉しくて店を色々調べて下準備し、
当日は思いきりお洒落してピカピカに洗った車で迎えに行き、
頑張って話を盛り上げてご飯を御馳走し、家まで送り届けた。
とても楽しくて何度も誘った。彼女も楽しんでくれていると思った。
段々好きになって今度告白しようと決心して食事に誘った時、
「本当はずっと嫌だった。もう誘わないで欲しい」と言われた。
彼女の顔は気の毒になる位必死だった。きっと決死の思いで言ったのだろう。
「ほら~!麻衣、ちゃんと断れるじゃないですか!
今度から嫌な事 頼まれたら、今みたいにビシッと言えよ!
俺、ずっと麻衣が何言っても断れないの、心配したよ!」
と、俺は泣き出しそうなのをこらえて出来るだけ明るく元気に取り繕った。
彼女はとてもホッとしたような顔をして何度も俺にお礼を言った。
俺から好かれている訳じゃない事がわかって、そんなに嬉しかったのかな。
昨日の話です。もう色恋は諦めますた。一生童貞でかまいません。

2018年1月21日日曜日

ALSになった同級生

大学のとき、高校の同級生の女の子がALSを発症した。
そう親しくもない子だったし、ALSってどんな病気かも知らなくて軽い気持ちで大学の近くにあったその病院に、ひまつぶしで見舞いに行っていた。
ある日彼女が、病室で言った。
「あたし処女のまま死ぬのってイヤだなあ、ねえ今度夜這いにこない?」
その晩実際に夜這いに行った俺を迎えた彼女は、病院の寝巻姿ではあったが髪はちゃんと整えてあり、うっすら化粧をして、下着も当時流行り始めたTバックだった。
行為そのものは少々やっかいで、彼女は自分で脚を開くこともできなかった。
彼女はわざとらしい喘ぎ声をあげて、なんとか無事終ることができた。
そのあと俺に寝巻きを着せてもらいながら、彼女は嗚咽していた。
翌日俺の実家に彼女の母親から、「息子さんの優しいお見舞いに感謝します。」と電話があったという。俺はまさかと思ったが、しばらくして戦慄した。
彼女はもう、起き上がることすらできない。トイレだって行けないからたぶんおむつの世話になっているはずだ。
では誰が?
彼女の髪をとかし整えてやったのか
彼女に薄化粧を施してやったのか
彼女のおむつを脱がし、流行りの下着をはかせてやったのか
それがわかったとき、嗚咽とはいかないが不覚にも涙が出てきた。

あれから8年、
彼女はもはや目も動かせない状態で今も闘病を続けているという

2018年1月20日土曜日

どの角度から見たらイケメンか

こんばんは、こうちゃんです。

これ、自分も言われそうで悲しいですが

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鏡でどの角度から見たらイケメンか調べてた俺に
友達から「後ろから見たら一番キモくない」って言われた

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これはリアルにありそうで悲しい
なんていうか怖いわけでないけど、切ない
言われたくないですね。

こうちゃん