2019年4月17日水曜日

母がプロ野球のチケットをもらってきた

幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。
学もなく、技術もなかった母は、
個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。
それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので、
何とか母子二人で質素に暮らしていけた。

娯楽をする余裕なんてなく、
日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに遊びに行っていた。
給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。

ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。
俺は生まれて初めてのプロ野球観戦に興奮し、
母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。

野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。
母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。
チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わなければいけないと言われ、
帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、
外のベンチで弁当を食べて帰った。
電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。

俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、
母に孫を見せてやることもできた。
そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように
「野球、ごめんね」と言った。
俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。

2019年4月15日月曜日

生活保護の悲劇

【日記に「おにぎり食べたい」 生活保護「辞退」男性死亡】

北九州市小倉北区の独り暮らしの男性(52)が自宅で亡くなり、
死後約1カ月たったとみられる状態で10日に見つかった。
男性は昨年末から一時生活保護を受けていたが、4月に「受給廃止」となっていた。
市によると、福祉事務所の勧めで男性が「働きます」と受給の辞退届を出した。
だが、男性が残していた日記には、そうした対応への不満がつづられ、
6月上旬の日付で「おにぎり食べたい」などと空腹や窮状を訴える言葉も
残されていたという。

市などによると、10日、男性宅の異変に気づいた住民らから
小倉北福祉事務所を通じて福岡県警小倉北署に通報があり、駆けつけた署員が
部屋の中で、一部ミイラ化した遺体を発見した。目立った外傷はなく、
事件の可能性は低いという。
 
男性は肝臓を害し、治療のために病院に通っていた。
市によると、昨年12月7日、福祉事務所に「病気で働けない」と生活保護を申請。
事務所からは「働けるが、手持ち金がなく、生活も窮迫している」と判断され、
同月26日から生活保護を受けることになった。
 
だが、今春、事務所が病気の調査をしたうえで男性と面談し、
「そろそろ働いてはどうか」などと勧めた。
これに対し男性は「では、働きます」と応じ、生活保護の辞退届を提出。
この結果、受給は4月10日付で打ち切られた。
この対応について男性は日記に「働けないのに働けと言われた」などと
記していたという。
 
その後も男性は働いていない様子だった。1カ月ほど前に男性に会った
周辺の住民によると、男性はやせ細って、「肝硬変になり、内臓にも
潰瘍(かいよう)が見つかってつらい」と話していたという。
 
小倉北区役所の常藤秀輝・保護1課長は「辞退届は本人が自発的に出したもの。
男性は生活保護制度を活用して再出発したモデルケースで、
対応に問題はなかったが、亡くなったことは非常に残念」と話している。
 
同市では05年1月、八幡東区で、介護保険の要介護認定を受けていた
独り暮らしの男性(当時68)が生活保護を認められずに孤独死していた。
 
06年5月には門司区で身体障害者の男性(当時56)が
ミイラ化した遺体で見つかった。この男性は2回にわたって生活保護を求めたが、
申請書すらもらえなかった。

小さな命を守って凍死

北海道を襲った暴風雪。車を捨てて歩き始めた父は、猛烈な地吹雪の中、たった一人の娘を守ろうと、10時間にわたって覆いかぶさるように抱きしめながら体温を奪われ命を落とした。

「大丈夫か」。3日午前7時すぎ、湧別町東の牧場用倉庫前で、雪の中に黒色の上着の一部を見つけた道警遠軽署員が大声を出した。
雪を払いのけると、同町の漁師、岡田幹男さん(53)が小学3年の長女夏音(なつね)さん(9)を両手で抱きかかえながら、うつぶせに倒れているのが見つかり、その胸の下にスキーウエア姿の夏音さんが泣きながら震えていた。
岡田さんは風が吹いていた北側に背を向けていたといい、夏音さんは低体温症ながら命に別条はなかったが、岡田さんは搬送先の病院で凍死が確認された。

同署によると、岡田さんは2日午後に夏音さんと一緒に知人宅に向かったが、同4時ごろ、携帯電話で「車が雪にはまり動けない。車を捨てて歩いて行く」と連絡があった。その後、
連絡が取れなくなった。車は同9時半ごろ、自宅から約1.5キロ西の道路脇の雪山に突っ込んだ状態で発見され、そこから約300メートル先の倉庫の前で2人は見つかった。
倉庫の50メートル先には民家があったが、吹雪で気づかなかったとみられる。

知人らによると、岡田さんは2年前に妻を亡くし、夏音さんと2人暮らし。近所の男性(51)は「一人娘をとにかく可愛がっていた。守りたい一心だったのでは」と話す。
別の知人によると、夏音さんは病院で「お父さんはどうなったんですか」としきりに気にする様子だったという。

捨てられたコレクション

こんばんは、こうちゃんです。

旦那のことを考えると悲し過ぎますし、そもそもが胸糞悪くなる系でもあるコピペです。

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コレクションについての話がありましたけど、私は夫のコレクションを捨ててしまって後悔した立場でした。
鉄道模型でしたけど。かなり古い模型がまさに大量(線路も敷いてて一部屋使っていた)という感じでした。
結婚2年目ぐらいから「こんなにあるんだから売り払ってよ」と夫に言い続けたのですが、毎回全然行動してくれずに言葉を濁す夫にキレてしまい、留守中に業者を呼んで引き取ってもらえるものは引き取ってもらいました。
帰ってきた夫は「売り払ったお金は好きにしていい」「今まで迷惑かけててごめん」と謝ってくれました。
残っていた模型も全部処分してくれたのですごく嬉しかったです。
でもその後夫は蔵書をはじめ自分のもの全てを捨て始めてしまいました。
会社で着るスーツとワイシャツや下着以外は服すらまともに持たなくなり、今では夫のものは全部含めても衣装ケース二つに納まるだけになってしまって…
あまりにも行きすぎていて心配になり色々なものを買っていいと言うのですが、夫は服などの消耗品以外絶対に買わなくなってしまい、かえって私が苦しくなってしまいました。
これだけ夫のものがないと夫がふらっといなくなってしまいそうですごく恐いのです。

こういう場合ってどうしたらいいんでしょう。

2019年4月9日火曜日

あまりに悲しい結末

こんばんは、こうちゃんです。

こちら、介護を苦に母を殺害してしまい、自身も死のうとした方の、
以前こちらでも紹介した事件のその後だそうです。
あまりに悲しい結末が。

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2006年2月1日、京都市伏見区の桂川の遊歩道で、区内の無職の長男(事件当時54歳)が、認知症の母親(86歳)の首を絞めて殺害、自身も死のうとしたが未遂に終わった「京都・伏見認知症母殺害心中未遂事件」をご存じだろうか。
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それから約10年後の2015年。毎日新聞大阪社会部の記者が、介護殺人に関するシリーズ記事の一環としてこの長男への取材を試みた。しかし弁護にあたった弁護士も行方を知らず、数少ない親族を探し出して訪ねると、彼はすでに亡き人になっていた。

事件の後の足跡について親族は口が重く、なぜ亡くなったのかも不明のまま。行き詰った末に探し当てた長男の知人という人に彼の死を告げると、絶句して、判決後に長男が落ち着いた先の住所を告げた。

やがて判明した死因は自殺だった。
琵琶湖大橋から身を投げたという。所持金は数百円。「一緒に焼いて欲しい」というメモを添えた母親と自分のへその緒が、身につけていた小さなポーチから見つかった。

2019年4月3日水曜日

生んでくれてありがとう

母が死んで今日で一年とちょっと。高齢出産だったこともあって、
俺の同年代の友達の親と比べると明らかに年くってた。
俺が「なんでもっと若く生んでくれなかったの!?」と責めたこともあった。
俺が思春期のころとにかく心配性な母がうざいのと、親父には恐くて
何も言えなかったから何でもかんでも
母に当たってた。たくさん文句言って寝ようと自分の部屋に入ったとき
母のすすり泣く声が聞こえたときは自分の不甲斐なさに気付き俺も泣いた。


お母さんが死ぬ時っていつか来るってわかってた。
でも気付いてからは遅いんだよね。そんな俺も今年で23才になる。
20才を迎えたくらいから親孝行したいなって思って
高齢出産だった母に孫の顔を見せてあげたいなって思ってた。
それで、先月生理来ない彼女が病院行ったら子供が出来てたよ。お母さん。
無事に生まれてくれたらいいな。
俺を生んでくれてありがとう。高齢出産だったから辛かったろう。
でも孫の顔見せてあげたかったな。抱かせてあげたかったな。
でももうお母さんの笑顔見れないんだよね。あの笑い声ももう聞けないんだよね。
でも俺少しは一人前の大人になったよ。学歴も無いし給料安いけど
ついに家庭を持つよ。こんな幸せなことってなかなか無いよね。

俺の子供にはお母さんからもらった優しさを少しでも分けてあげたい。
休みの日は子供といっぱい遊ぶ。俺が小さい頃のお母さんよりは
動けると思うよ。なんたってまだ俺若いからね。

お母さんが死ぬ前日に俺に言った言葉。
「今日はお風呂入ってもう寝なさい」
あの時寝なきゃ良かったな。今でも思うよ。一晩中話しとけば良かったよ。
なんで死んじゃうんだよ。お母さん。もっといっぱい甘えとけば良かった。
もっといっぱい話したかった。旅行に連れて行ってあげたかった。
それで美味しい物いっぱい食べさせてあげたかった。
次の日冷たい体に抱きしめても、声かけても何も返って来なかったよ。
お母さん、天国から俺の事見える?
俺の事もう心配しなくていいからね。子供の名前何にしようかな。
お母さんだったらどうする?明日仕事休みだから彼女とお墓参り行くよ。

最後に生きてるとき言いたかったけど言えなかった言葉。
「お母さん、生んでくれてありがとう」