2024年8月13日火曜日

母親系泣けるコピペを連投①

とにかく泣ける母親系コピペを連続でどうぞ。
母の愛、思い出は偉大ですね。


母がプロ野球のチケットをもらってきた

幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。
学もなく、技術もなかった母は、
個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。
それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので、
何とか母子二人で質素に暮らしていけた。

娯楽をする余裕なんてなく、
日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに遊びに行っていた。
給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。

ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。
俺は生まれて初めてのプロ野球観戦に興奮し、
母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。

野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。
母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。
チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わなければいけないと言われ、
帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、
外のベンチで弁当を食べて帰った。
電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。

俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、
母に孫を見せてやることもできた。
そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように
「野球、ごめんね」と言った。
俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。

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ハッピーバースデー

漏れが就職して初めてのボーナスが出た日、職場の皆で呑みに行った。
ベロベロに酔っ払って、ゲーセンは行ったらケーキの形したぬいぐるみのUFOキャッチャーがあった。
3000円ぐらい使って1コ取って、気になってた同僚の女の子にあげようと思ったら、「いらな~い」って言われた。
どうしていいやらわからずに、とりあえずカバンに入れてそのまま持って帰った。
ケーキのイチゴの部分を押すと、電子メロディで「ハッピーバースデー」の曲が流れた。
ちょうど母親の誕生日が近かったので、それとなく「母ちゃん、これあげる」って渡した。
今まで誕生日プレゼントなんてあげたのは2、3回しかなかった。照れくさかったから。
母親は驚いた顔をしつつ、ニコニコしながら受け取った。
「ここを押すとメロディが流れるから」って教えると、延々とハッピーバースデーを聴いていた。

2年後の母親の誕生日。
仕事がキツくて夜中まで働いた翌朝、起きる時間まであと20分あった。
朝の20分の睡眠時間は貴重だった。
なのに、耳元で耳障りな電子音が聞こえてきた。
例のケーキのぬいぐるみだった。
母親が、
「メロディ止まらなくなっちゃったのよ、なんとかして」
と言って立っていた。

「知らねーよ。眠いんだから出て行け」

と言ったら、母親はぬいぐるみを俺の枕元に置いていった。
けたたましく鳴り響くハッピーバースデーのメロディに、漏れはブチ切れて

「ふざけんなよ、うるせーんだよ!」

といってぬいぐるみを廊下に叩きつけた。
唖然としてぬいぐるみを拾い上げる母親。
メロディは鳴らなくなっていた。
母親がうっすらと涙を浮かべていたのに気が付いてはいたが、そのままベッドにもぐりこんだ。

朝食は無言のまま。バツが悪いのでさっさと出勤した。


それから母親がそのぬいぐるみの事を口にする事はなかった。
でも、漏れは知っている。押入れのたんすの中にそっとしまわれている事を。
もう8年ぐらい前の話だ。

母親はまだ健在だが、どうしてもあの時自分がしてしまった事を後悔している。
なんとか、あのぬいぐるみを直してやりたい。

誰か、知らないだろうか?
ボタン電池ぐらいの大きさで、押すと電子メロディでハッピーバースデーが流れる小さな回路を。
どこか売っていたら教えてくれ。頼むから…

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ありがとう、お母さん。

私を大学に通わせてくれた母へ

あなたは私を産むまでずっと父の暴力に苦しんでいましたね
私が産まれて時、あなたは泣きながら喜んだんですね
私が一歳の誕生日に、借金を抱えたまま父が自殺しましたね
借金を返すために昼はパート夜は居酒屋で仕事の毎日でしたね
保育園では遠足のおやつは雑穀のおはぎでしたね
小学校の給食費を払えない月もありましたね
修学旅行のおみやげはご当地キーホルダーだけでしたね
中学の制服は親戚のおさがりでしたね
高校のお弁当はいつもご飯に梅干しと海苔でしたね

無理を承知で大学行きたいと頼んだ時、あなたは反論しませんでしたね
ごみ処理場から捨てる予定の参考書をもらいに行きましたね
お金がかかるから私立は受けられず、国立専願受験でしたね
センター試験の前日には初めて特上寿司を食べさせてくれましたね
センター試験に失敗したけど、あなたは最後まで諦めないよう励ましてくれましたね
前期に落ちて、一度私は自殺しかけましたね
あなたは怒ることもなく、ずっと私に謝り続けていましたね
私もあなたにずっと謝り続けましたね
そして私は気持ちを切り替えて後 私はその後も頑張って勉強して、なんとか後期に合格することが出来ましたね あなたはずっと「おめでとう、おめでとう」と泣き続けてくれましたね

でもあなたは入学の準備の時に急に倒れて病院に運ばれましたね 医者が、癌が全身に転移していてこれから一週間が峠だと告げましたね
私がただただ泣き続けている時にあなたは「この体の傷や癌の一つ一つがあなたを育てあげた立派な勲章なのよ」と微笑みながら言いましたね 
あなたは最後まで泣くことも苦しむこともなく、静かにこの世を去りましたね

今私は医者になるために毎日一生懸命に勉強していますよ あなたの命を奪った癌に苦しむ人々を治療して助けたいから
私が育った環境は決して恵まれてはいなかったけれど、あなたに生まれ、育てられて本当によかったよ

ありがとう、お母さん。

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母親の誕生日

還暦を迎えた母に誕生日おめでとうメールを送った返信。

件名:ありがとう
本文:ついに60代になってしまいました。
思い返せば、30代は小さなあなた方を夢中で見つめていました。
40代は、若々しく成長していくあなた方に見とれていました。
50代は頼もしく輝いていくあなた方に目を奪われていました。
あなた方がみんな素敵な伴侶を見つけ、巣立って行ってから迎えた60代は
20代の頃に戻ってもう一度お父さんと見つめ合おうと思います。


うっかり感動してしまった。

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捨ててしまった弁当

母子家庭だったうちは貧乏極まりなかった。
高校になってから、毎日お弁当を作ってくれたんだけど、友達のほとんどは学食で食べていて、弁当持参がとても嫌だった。
ある日、いつものように弁当を作ってくれた母親に「お前の弁当なんていらねーんだよ!」と台所に捨ててしまった。
キョトンとした後に悲しそうなあの表情、今でも忘れられない。その後怒るどころか、「ごめんな、料理下手だから気に食わないんだね」って泣いてた。
結局その後お弁当は作らずに、毎日400円貰ってた。母親の稼ぎは相当低かったのに、やりくりして出してたんだろうな。
何度も謝ろうとしたんだけど、結局言い出せなかった。
そんな俺も社会人になったんだが、母親がガンで逝ってしまった。
家を片付けてると、学生の時に作ってくれていた弁当箱を発見した。
結局、弁当を捨ててしまった事は話題すらしなく謝れないままだった。
朝早起きしてくれて作ってくれてたお弁当、愛情がこもったお弁当、なんであんな事してしまったんだろう、なんで謝れなかったんだろうって今でも後悔しまくり。
自炊するたびに、母ちゃんは手間隙かけて作ってくれてたんだなぁって痛感するよ。
本当にごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、むしのいい話ですが、お母さんのお弁当が食べたいです!

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