2011年12月23日金曜日

貧乏の家に

俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。。。
すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。
俺が小6のときにクラスの給食費が無くなった時なんて、
「ファミコン持ってない奴が怪しい」
なんて、真っ先に疑われたっけ。
貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!
って悪態ついたときの母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ、、。

どーしても欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。
これでようやく遊べると思ったんだけど、
ニチイのゲーム売り場の前まで来て買うのやめた。

そのかわりに小3の妹にアシックスのジャージを買ってやった。
いままで俺のお下がりを折って着ていたから。

母にはハンドクリーム買ってやった。
いっつも手が荒れてたから。

去年俺は結婚したんだけど、
結婚式前日に母に大事そうに錆びたハンドクリームの缶を見せられた。
泣いたね、、。初めて言ったよ。。

「生んでくれてありがとう」
って。

2011年11月23日水曜日

払えなかった運賃

仕事帰りに乗ったタクシーの運転手から聞いた話です。

ある夜、駅ロータリーでいつものように客待ちをしていると血相を変えたリーマン風の男性が「〇〇病院まで急ぎで!」とタクシーに飛び乗ってきた。
男はどこかに電話をかけているようだが、相手が受け取らないようだ。
ヒーヒー言いながら男は平静を保っていた。しばらくすると男の携帯が鳴った。

男「もしもし!母ちゃんの様子は?…。
そうか、頼みがあるんだけど受話器を母ちゃんの耳にあててあげて!…。」
優しいが芯のある声で男が勇気づけるように語りだした。
男「おいおいいつまで寝てる気だよ、 朝散々人のこと叩き起こしてたくせによ。
今せっかく働いて、美味いもん食わしてやろうと毎日頑張ってんのに、」
「おれまだなんもしてねーよ!死ぬんじゃねーよ!おれが手握るまで息してろよな」と言って切った後、男は黙りこくっていた

しかし病院までの道のりはかなり遠い、男の苛立ちを背中でヒシヒシと運転手は感じ、信号を避けるため裏道など利用し最善を尽くした。
しばらく走ると再び男の携帯がなった
男「もしもし…そうか…わかった…もう着くよ」そう言い電話を切ると男は黙りこくった

そうこうしているうちに病院に着き、男は運転手にお詫びを言い病院の中に消えた

私はタクシーから降りる間際、お金を渡し、涙ぐんでこう言った
「覚えていてくれたんですね。これはあの時払えなかった運賃です。ありがとうございました。」

2011年10月23日日曜日

俺の近所に住んでた爺さんの話。

一人暮らしだった爺さんは子供好きで、ちっちゃい頃の俺もよく遊んでもらってた。
ある時、爺さんの家で見た暴れん坊将軍(だったと思う)の1シーンで
老中と主役が「じい」「若」と呼び合うのを二人で真似して
俺「じい!今日も遊びに来たぞ。」
爺「若、よくぞいらっしゃいました。」
なんて呼び合って遊んでいた。
そんな関係は俺が他県の大学に進学するまで延々と続いていた。

卒業後に実家に戻ってきたらなんと「じい」が脳卒中やって入院中だという。
さっそく見舞いに行ってみたら「じい」はたくさんの管に繋がれてベッドに横たわっていた。
看護士の話では外界からの刺激にはなんの反応も示さない状態だと言う。
俺は「じい」に呼びかけてみた。
「じい、俺だぞ。覚えてるか?」
ダメもとのつもりだった。・・・が、次の瞬間、閉じられていた「じい」の目がカッと見開き
そして今まで昏睡してたとは思えないようなハッキリとした声で喋った。

      「若、ご立派になられましたな。」

2011年9月20日火曜日

メールにしといてよかった

母親とつまらない事でケンカした。
つまらない事なのに、凄い暴言を吐いてしまった。
一人暮らし中の私は、そのまま自分の家に帰って
母から電話が掛かっても、絶対に出なかった。

3日経ってやっと頭が冷え、自分のバカさ加減に情けなくなり
「謝らなきゃ・・・」と思うようになった。
とはいえ、直接電話するのも躊躇う。
卑怯かもしれないけど、謝りのメールを母に送る事にした。

『この前はごめんなさい。』 これが精一杯の言葉。
10分後、母からメールが返ってきた。
ドキドキしながら見ると、件名には『アホな娘へ』と書いてある。
もっとドキドキしながら本文に目をやると
『アホやね お母さんは怒ってませんよ(^0^)
夜ご飯食べにおいで 待ってます』

子供の時みたいにボロボロ泣いた。
メールにしといてよかった・・・

2011年8月2日火曜日

ありがとう、お母さん

私を大学に通わせてくれた母へ

あなたは私を産むまでずっと父の暴力に苦しんでいましたね
私が産まれて時、あなたは泣きながら喜んだんですね
私が一歳の誕生日に、借金を抱えたまま父が自殺しましたね
借金を返すために昼はパート夜は居酒屋で仕事の毎日でしたね
保育園では遠足のおやつは雑穀のおはぎでしたね
小学校の給食費を払えない月もありましたね
修学旅行のおみやげはご当地キーホルダーだけでしたね
中学の制服は親戚のおさがりでしたね
高校のお弁当はいつもご飯に梅干しと海苔でしたね

無理を承知で大学行きたいと頼んだ時、あなたは反論しませんでしたね
ごみ処理場から捨てる予定の参考書をもらいに行きましたね
お金がかかるから私立は受けられず、国立専願受験でしたね
センター試験の前日には初めて特上寿司を食べさせてくれましたね
センター試験に失敗したけど、あなたは最後まで諦めないよう励ましてくれましたね
前期に落ちて、一度私は自殺しかけましたね
あなたは怒ることもなく、ずっと私に謝り続けていましたね
私もあなたにずっと謝り続けましたね
そして私は気持ちを切り替えて後 私はその後も頑張って勉強して、なんとか後期に合格することが出来ましたね あなたはずっと「おめでとう、おめでとう」と泣き続けてくれましたね

でもあなたは入学の準備の時に急に倒れて病院に運ばれましたね 医者が、癌が全身に転移していてこれから一週間が峠だと告げましたね
私がただただ泣き続けている時にあなたは「この体の傷や癌の一つ一つがあなたを育てあげた立派な勲章なのよ」と微笑みながら言いましたね 
あなたは最後まで泣くことも苦しむこともなく、静かにこの世を去りましたね

今私は医者になるために毎日一生懸命に勉強していますよ あなたの命を奪った癌に苦しむ人々を治療して助けたいから
私が育った環境は決して恵まれてはいなかったけれど、あなたに生まれ、育てられて本当によかったよ

ありがとう、お母さん。

2011年7月26日火曜日

毎日犬と散歩するお婆ちゃん

近所に住むお婆ちゃん。
もう90歳近いお婆ちゃん。
足腰弱ってるが毎日の散歩は欠かさない。

白いレトリバーを連れてゆっくりゆっくり歩いてた。
はた目には「ばあちゃん本当に歩いてるw?」ってくらい遅くて
見方によっては滑稽にすら見える。

でも、犬が5歩歩いてピタッ、4歩歩いてピタッとお婆ちゃんのペースに
合わせて待ちながら歩く姿が可愛いやら微笑ましいやらで大好きな光景だった。
ある日、団地のバカ小学生どもがゆっくりしか歩けないお婆ちゃんを
馬鹿にしてからかった。

バカガキはエスカレートしてお婆ちゃんにボールをぶつけた。
更にエスカレートしたバカガキの一人が石を投げつけようとしたとき
大人しかったラブラドールがリードを振りほどいて石を持ったバカガキに
飛びかかった。噛まれてはいなかったらしいが、ビックリしてこけた
拍子に腕の骨にヒビが入ったらしい。

目撃者が証言してくれたらしいが、バカガキのDQN親が大騒ぎして
「人殺し!」「こんな犬さっさと保健所に持ってけ!」だのと
お婆ちゃんを罵倒したそうだ。
今、お婆ちゃんは一人で寂しそうに散歩している。

2011年6月11日土曜日

アイスクリームのせいで

あの日俺が楽しみにとってあったアイスクリームを、母が弟に食べさせてしまった
学校から帰り、冷凍庫を開け、アイスを探したが見つからなかった
母親に問い詰めると、弟が欲しがったのであげたと言った
その時楽しみにしていた俺は、すごく怒った
母親に怒鳴り散らし、最後に「死ね!」と叫び、夕食も食べずに部屋に篭もった
それから何時間か経った
俺は寝てしまっていたようだ、が、父親が部屋に飛び込んで来たので目が覚めた
「母さんが轢かれた・・・!」
あの時の父親の顔と言葉を、俺は一生忘れないだろう
俺達が病院に着いたとき、母親はどうしようもない状態だと言われた
医者は最後に傍にいてあげて下さいと言い、部屋を出た
それから少しして、母親は息を引き取った
その後、母親があの時間外にいた事を父から聞いた
買い物に行くと言って出て行き、その帰りに車に轢かれた事
現場のビニール袋の中には、アイスが一つだけ入っていた事
救急車の中でずっとごめんねと呟いていた事
その時、俺のためにはアイスを買いに行って事故にあったとわかった

通夜と葬式の間中、俺はずっと泣いた
そして、今でもこの時期になると自然に涙が出てくることもある
母さん、ごめんな
俺が最後に死ねなんて言わなかったらと、今でも悔やみ続けている。


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こんな偶然って、
あまりにも悔やんでも悔やみきれない悲しい事件ですね。


燃えPaPa

2011年5月17日火曜日

好きな女の子が出来た

とある日の春、僕に好きな女の子が出来た。
その子は私の家に来てと言ってきた。
だけど緊張して行けなかった。
だがその女の子は毎週言ってきた。
4週間目に僕は女の子の家に行こうと決断した。
でも行き方が分からない
女の子はすぐそばにいる、場所も分かってる。
でも行けない・・・何でだろう
ある日突・・・然彼女を見なくなった。
探したが見つからない。
また来るだろうと僕は待ち続けた。
そして2年後の冬また彼女が戻って来た。とても嬉しくて涙が出てきた。
また私の家に来てと言ってきた。「僕は貴方の家はどこですか?」と聞いた。
でも答えてくれない。そんな日々が続いてまた彼女が消えた。悲しかった。
ある日僕は気が付いた・・・
彼女は画面の中に居たんだ。

終わり

2011年4月17日日曜日

母がプロ野球のチケットをもらってきた

幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。
学もなく、技術もなかった母は、
個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。
それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので、
何とか母子二人で質素に暮らしていけた。

娯楽をする余裕なんてなく、
日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに遊びに行っていた。
給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。

ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。
俺は生まれて初めてのプロ野球観戦に興奮し、
母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。

野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。
母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。
チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わなければいけないと言われ、
帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、
外のベンチで弁当を食べて帰った。
電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。

俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、
母に孫を見せてやることもできた。
そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように
「野球、ごめんね」と言った。
俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。

2011年3月17日木曜日

子供が絵馬で願いごと

この前近くの神社まで散歩したんだ。
絵馬がたくさんあって、あまりいい趣味じゃないなと思いながらも
他人のいろんな願い事を見ていたんだ。
「大学に合格しますように」「○○と一緒にいられますように」…

そんな中で、一番小さく安い絵馬板に、たぶん小さい子供と思われる字で、

「 おかあさんの びょうきを なおしてください 」


事情はもちろんわからない。
どんな子なのかも、どんな病気かも知りようが無いし。
けど、この子のお願いが叶うように祈るよ。
本当に心から祈るよ(´Д⊂ヽ

2011年2月23日水曜日

お子様ランチ

親父、覚えているか。
俺が小さい頃、この店の前で駄々をこねてお子様ランチを食べたいと言った事を。
親父は「我侭を言うな」と一喝し、俺の頭を殴ったな。
俺は泣きじゃくっていたが、それを背に親父は歩いていったな。
母さんに支えられながら歩いた俺は、親父のその背中を見て、畏怖したもんさ。
家に帰っても親父とは話ができず、家の中には気まずい空気が流れていたな。
その日から、何日経っただろうか。
母さんが「こっそりあの店に行きましょう」と言ってくれた。
俺は歓喜に震えながらも、後で親父にバレて怒られる事を危惧した。
だが、幼い俺はお子様ランチの誘惑には勝てず、母さんと二人、店に向かった。
その店に向かう道中からその店でお子様ランチが出るまで、俺はワクワクしっ放しだったさ。
そして、念願のお子様ランチが出てきた時には、もう俺の喜びは最高潮に達した。
そこからは、俺もあまり覚えてないな。
本当にもう、ただお子様ランチに心を奪われていたんだな。
気付いたら、既に皿の上には何も乗っていなかったさ。
そこで再び、俺の中には親父への畏怖が湧き上がってきた。
そこで俺は、恐る恐る母さんに対して口を開いた。「この事、父さんには内緒だよね……?」と。
しかし母さんは言う。「う~ん、それは無理かもね」
俺は愕然とした。
どうして?どうして?どうして? ――
何も信じられなくなろうとした刹那、母さんはこう続けた。
「父さんが『この金で連れて行ってやれ』って言った事だから」

親父、覚えているか。
俺は、今でもあの時の親父の背中を覚えてるよ。
けど、本当は ―― 本当は、親父と一緒に食いたかったんだぜ?
―― 今更言ってもしようがないし、親父は不器用だったから仕方ないかもしれないけど ――
だから、約束してくれ。
俺がそっちに行ったら、一緒に ――

2011年1月22日土曜日

認知症のばあちゃん

俺には今年で80になるばあちゃんが居るんだが  
もう長い間認知症で自分の名前も分からないし  
言ってる事も支離滅裂だったもんでばあちゃんが何を言ってるかなんて俺も家族も全然気にしてなかったんだが、  
ある晩自分の部屋ですいませんすいませんって誰かに謝ってる声が聞こえて(もちろん一人で)  
いつもより妙にはっきり喋ってるからそのまま聞いてたら  
   
すいませんね、すいませんね、ちゃんと謝らせますから  
○○(俺)はホントは優しい子なんですよ…  
   
って言ってた  
   
俺が昔、友達に石ぶつけて怪我させて  
ばあちゃんが先生に謝ってる時の事をフラッシュバックしてるらしい  
なんか立ち聞きしながら泣いてしまった  
   
今日はデイサービスで居ないが  
帰ってきたら優しくしようと思う  
俺の事は新聞屋(か郵便屋?w)と思ってるらしいが  
そんなの関係ないぜw俺のばあちゃんに違いはないからな